
イランとアメリカの緊張関係は、世界の安定を揺るがす大きな懸念事項となっている。なぜイランとアメリカは対立し続けているのか。その裏には、数千年に及ぶ民族の変遷、19世紀から続く大国の覇権争い、そしてイランに綿々と伝わる独自の宗教観が複雑に絡み合っている。本記事では、『歴史街道』2019年9月号に掲載された宇山卓栄氏の記事「3つのポイントから読み解く『イランの本質』」より、「民族」「地政学」「宗教」の3つの視点から、謎に包まれたイランの本質を解き明かす。
※本稿は、『歴史街道』2019年9月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
イランとアメリカの緊張関係が、かつてない局面を迎えている。2026年4月、ホルムズ海峡の封鎖や米軍機の撃墜を経て、両国はパキスタンの仲介による「2週間の即時停戦」に合意した。最悪の軍事衝突は一旦回避されたものの、依然としてイスラエルによる空爆は継続しており、情勢は予断を許さない。世界の危機の震源地として、今後も、イランが注目される。イランでは、最高指導者が政治や軍事の大権を握り、大統領が首相の役割を担い、議会や行政を動かす。イランはいったい、どのような歴史を持つ国なのだろうか。民族、地政学、宗教の3つの視点で、イランの深層に迫る。
イラン人は元々、イラク人をはじめとする中東アラブ人とは異なる民族系列に属する。イラン人もイラク人も同じように見えるが、イラン人はインド・ヨーロッパ語族、いわゆるヨーロッパ人と同じ系列に属する。
紀元前2000年頃、中央アジアを原住地とするインド・ヨーロッパ語族は、ユーラシア大陸の広大な範囲に移住拡大し、東を目指した一派はインドへ、そして、西を目指した一派はイランやヨーロッパへ入った。
古代において、イラン人の容貌は白人ヨーロッパ人に近かったと考えられる。
イラン人は中東地域にあって、長い年月をかけ、アラブ人との混血を繰り返し、事実上、アラブ人化して今日に至る。
混血種はそれぞれの民族の長所をよく継承し、その美しさを凝縮した特性を兼ね備えた容貌を遺伝子的に形成していくとされる。
そうしたイランの混血種の美しい女性を狙ったのが、アレクサンドロス大王である。
紀元前330年、ギリシア人勢力を率いるアレクサンドロス大王が来襲し、当時のイランのアケメネス朝ペルシアは滅ぼされた。大王はギリシアとオリエント(中東地域のこと)を統合し、ヘレニズム(ギリシア風)の帝国をつくる。
アレクサンドロス大王らギリシア人はイランで、男性を大量虐殺し、女性を集団強姦した。ギリシア男性と被征服民のイラン人女性が「集団結婚」したと一般に解説されるが、父や兄弟を殺したギリシア人を、イラン人女性が好んで結婚することなどあろうはずがない。
この時代、キリスト教などの倫理宗教が無く、虐殺や強姦が平然と行われていた時代であった。力による支配が全てであり、美しいイラン人女性は征服者の餌食になったのである。
イラン人をはじめとするインド・ヨーロッパ語族は、アーリア人とも呼ばれる。 「アーリア」というのは「高貴な」という意味であり、ペルシア語(イラン語)では「ariia」、サンスクリット語では「ārya」と表記される。「イラン(アーラン)」は「アーリア人の国」、つまり「高貴なる者の国」という意味を持つ。
このように、「イラン」というのは地名を表すものではなかったため、「ペルシア」という地名を表す国名が古代から一般的に使われていた。「ペルシア」は「騎馬者」という意味の「パールス(Pars)」を語源にしており、「騎馬者たちの住む地域」という意味で「ペルシア」という形になる。
アーリア人は他の民族と比べ、自分たちを「高貴なる者」とし、自分たちの優位性を主張しながら、中東でアラブ人(セム語族)を支配した。
アーリア人と聞くと、一般にヒトラーのアーリア人優位主義が想起されるだろう。「アーリア人」は古代史の中で使われる古い歴史用語に過ぎなかったが、19世紀になり、オリエンタリズム(東方趣味)が流行する中、「アーリア人」という言葉がその神秘的な響きと相まって、大きな注目を浴び、次第にオカルト的な意味合いを持つようになる。
やがて、ヨーロッパ諸民族の祖先としてのアーリア人を崇めるという風潮が、民族主義者たちの間で強まった。20世紀、このオカルト的な意味での「アーリア人」をフルに利用したのが、ヒトラーの率いるナチスだった。
紀元前6世紀、イラン人の王国アケメネス朝が建国され、中東地域における、最初の長期統一政権となる。
アケメネス朝は「ペルシア」を国号とした。この国号を、226年に建国されたササン朝も用いた。ササン朝は強大な力を誇り、中東から中央アジア、インド西北部に至るまで支配した。
7世紀に、預言者ムハンマド(英語名はマホメット)が出て、中東地域全体をイスラム化し、統合すると、イラン人のアラブ人化が急速に進む。因みに、ムハンマドは純然たるアラブ人である。またイラン人は、従来のイラン人独自の民族主義的宗教であるゾロアスター教を捨て、イスラム教に帰依していく。
トランプ大統領は第1次政権時の2018年5月、欧州諸国に引き止められたにもかかわらず、欧米など6カ国とイランが結んだイラン核合意(2015年締結)から離脱し、イランに対する経済制裁を再開した。
妥協の産物として締結されたイラン核合意では、イランの核武装を止めることはできないとトランプ大統領は主張している。
アメリカは同年4月、イギリス・フランスとともに、シリアのアサド政権が化学兵器を使用したとして、シリアの化学兵器関連施設へミサイル攻撃をした。シリアへの攻撃は2017年4月に次ぎ2回目となる。
一方、ロシアはシリアを支援しながら、イランとの連携を深めた。今日のアメリカとイランの対立は、中東という資源地域を巡るアメリカとロシアの覇権争いというマクロの構図で読み解くことが欠かせない。
そして、このような大国の覇権争いの構図は19世紀以来、中東地域では一貫して変わることがない。
ロシアは19世紀、「南下政策」により、イラン(当時はカージャール朝)へ進出して、中東への支配の拠点とした。ロシアはイランからアルメニアを獲得し、カスピ海西岸を経由するルートで、イランに入り、さらに東方のアフガニスタンに向かって進出した。
インド防衛を重視するイギリスもアフガニスタンに進出し、1856年、カージャール朝イランの勢力を駆逐した。
カージャール朝はイギリスに和睦を請い、イギリスに治外法権、貿易上の特権を与えた。
こうして、カージャール朝はロシアとイギリスによる二重支配を被るに至る。
ロシアとイギリスはイラン支配を巡り、激しく争った。この両国の駆け引きは「グレート・ゲーム」と呼ばれる。
今日でも、イランを中心に地政学的な覇権争いは続いている。中東において、アメリカのプレゼンス(存在感)がしっかりとしていなければ、中東はアッという間に、ロシアの傘下に組み入れられてしまう。欧州諸国は長い間、中東政策で、事なかれ主義のぬるま湯に浸かり過ぎていたが、アメリカは絶対に妥協できない。
かつてトランプ大統領は「アメリカを脅していると、過去の歴史でもほとんどないような報いを受けるだろう」と述べている。アメリカのシリア攻撃、イラン核合意離脱、大使館のエルサレム移転などは、中東におけるアメリカのプレゼンスを再編・確立するための重要な布石であったと見ることができる。
第2次世界大戦後、イランでは、工業化とともに、民族資本が台頭し、国王と激しく対立した。
国王のパフレヴィー2世は民族資本に対抗するため、イギリスのみならず、アメリカにも頼った。アメリカはパフレヴィー2世との連携を強化し、積極的に支援した。
ところが、イラン民族資本はシーア派最高指導者ホメイニを担ぎ上げ、イラン国民もホメイニに従い、米英を排除するべく立ち上がり、1979年、イラン革命となる。パフレヴィー2世は退位し、エジプトに亡命する。
そしてホメイニの指導で、反米のイラン・イスラム共和国が成立した。ホメイニは石油国有化に踏み切り、石油輸出を制限したため、石油の国際価格が急上昇し、第二次石油危機が発生した。
米英はイランの利権を失った。アメリカはホメイニ政権を潰すため、隣国のイラクを全面支援し、1980年、イラン・イラク戦争がはじまる。イランとアメリカとの確執はこの時以来のものである。
現在、イスラム世界全体において、スンナ派が多数派であり、シーア派は約10%しかいないが、イランに限って言えば、約90%の国民がシーア派である。なぜ、イランではシーア派が信奉されているのだろうか。
イスラムの預言者ムハンマドの娘ファーティマとその婿のアリーの子孫だけを、正統なムハンマドの後継者と認める人々は「シーア・アリー」(アリーの信奉者)、略して「シーア派」と呼ばれるようになる。
シーア派はアリーを初代の「イマーム」(「指導者」の意)とし、アリーとファーティマの子孫を「イマーム」と認める。
「イマーム」は神と人間を結びつける指導者であり、預言者ムハンマドの血統によって決まる君主である。
これに対し、スンナ派は選挙や戦争などにより、人間が選ぶ「カリフ」(最高権威者)に従う。
シーア派は、人間の判断は神の判断には及ばないとして、指導者を恣意的な人間の判断で選ぶべきではないと主張する。また、シーア派は、人間の判断で選ばれた指導者は批判されるべき存在であると考えるため、スンナ派の政府に対する反体制者の拠り所となる。
このシーア派が歴史的に、イラン人に受け継がれてきたのは、イラン人が反体制者として、アラブ人などの多数派のスンナ派勢力に対抗するため、という側面もある。
実際に、10世紀に台頭したイラン人のブワイフ朝はシーア派を奉じ、スンナ派のアッバース朝に対抗した。16世紀に台頭した同じくイラン人のサファヴィー朝は、スンナ派のオスマン帝国に対抗した。
ムハンマドの血統を重んじるシーア派は、原理主義的で神秘主義的な傾向が強い。
イランの王朝は、スンナ派を徹底的に憎悪する人々を軍隊の中核に配置し、統率力を高めようとした。
イラン人が正統と認める「イマーム」は、初代アリーから12代ムハンマド・ムンタザルまでの12人いた(12イマーム派)。これ以降、直系の継承者が絶えたが、イマームは死に絶えたのではなく、人々の前から姿を消し、隠れたのだと考えられている。
この「隠れ(幽隠)」のことを「ガイバ」と言う。「ガイバ」の状態にあるイマームは最後の審判の日に、この世に再臨すると信じられている。
そして、かつてのイマームたちの家族やその子孫たち、彼らの血筋を引く者が「サイイド」とされる。「サイイド」はアラビア語で「血筋」を表す言葉だ。ホメイニやハメネイ師のような「サイイド」が最高指導者として、「イマーム」が再臨する日まで、「イマーム」の統治を代行している。
そのため、イランでは、最高指導者が国民に選ばれた大統領よりも強大な権限を持ち、国家の最終意思決定者として君臨する。
まさに、シーア派の思想が政治においても実践されており、そうした観点からもイランは宗教国家と言える。
このような国家は「神の名」において、妥協をすることはしないであろうし、アメリカが強硬に出れば出る程、彼らは「ジハード(聖戦)」の大義名分を掲げ、戦いに挑むだろう。
更新:04月11日 00:05