
『豊臣兄弟!』写真提供:NHK,以下同
視聴者をひきつけるエンターテインメント性と、史実をどう両立させるか――。歴史を扱った映像作品であれば、その問題は避けて通れませんが、国民的コンテンツである大河ドラマは、それとどう向き合っているのでしょうか。
そこで今回、大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK総合 毎週日曜 夜8:00~ほか)の時代考証を担当する黒田基樹先生と柴裕之先生、そして制作統括の松川博敬氏にお話をうかがうことに。お三方のお話からは、時代考証の果たしている役割だけでなく、大河ドラマが歴史研究に及ぼす意外な影響も見えてきました。

――大河ドラマの時代考証というと、資料を集めたり、現状の研究状況を制作陣に伝えたりするというイメージがありますが、今回の大河ドラマで研究成果が反映さている点などあれば教えてください。
柴:たとえば桶狭間の戦いですが、今までの大河ドラマでは、今川義元上洛説をもとに描かれていたと思います。
しかし今回は、織田信長側から動いて、それに対して義元が応戦するというふうに描かれています。研究によって、桶狭間の戦いを幅広く見てみると、実は信長のほうから動いていることがわかっていますので、そういった成果などをお話ししています。
それをどう判断されるかは、最終的には制作陣の方ですが、桶狭間については取り入れてもらっていると思います。
黒田:考証会議というものが月に2回ほどあって、脚本について話し合うのですが、「現在の研究状況では、これは、こういうふうに理解されていて」ということをお伝えしています。そこに近づけるかどうかは、脚本家の方(八津弘幸氏)の考えになりますね。
松川:先ほど黒田先生がおっしゃられた時代考証会議はいつも対面で行っているのですが、実は視聴者のみなさんが気づいてないところで、お二方からいただいたアイデアがたくさん反映されています。
いま思いついたところで言うと、たとえば中村にあった小一郎(羽柴秀長)たちの家って意外と広いんですよね。あれは実は、豊臣兄弟の出自というのがもともとはそれなりのレベルで、その後、没落したということが反映されています。
また、ねねと秀吉の結婚の時期も最新研究にもとづいていて、いままでは永禄4年(1561)説がとられていて、「足軽のような秀吉が、身分の高いねねと結婚する」という描かれ方をされてきました。しかし今回は、秀吉が侍大将になった時に初めて結婚するということにしています。
あとは、黒田先生と柴先生に聞いて初めてわかったのですが、秀長には与一郎という息子がいて、天正10年(1582)に亡くなっています。また、撮影がはじまってからは秀長に娘がいたこともわかり、それらをドラマに反映しています。
見えていないところで、お二方にすごい設計をしてもらっているというところがあるんですよね。
墨俣城が燃える場面
――そうした研究成果が反映される一方で、ドラマと史実の面で、ぶつかり合うということもありますか?
柴:史実にこだわると、ドラマ性とのぶつかりがでてきてしまうというのはありますが、そこはあくまでドラマということで対応しています。ただ、やっぱり、史実と非常にずれてしまうとまずいわけですね。そこを、実際の歴史的過程の中にどう収めていくのかについては時代考証として考えています。
松川:八津さんとわれわれが譲れるところと譲れないところというのがあって、そこのせめぎ合いです。「ここはドラマの根幹にあたるところだから、申し訳ないですが、これで行かせてください」っていう。そういう部分は、史実の面を知ったうえで、お二方からのご指摘をわかったうえで、やらせてもらっています。
黒田:そう。だから、こちらとしては、そこでなるべく真っ赤な嘘だっていうふうに思われないような設定を提案してくということですよね。見ていて、もしかしたらあったかもしれないみたいに思っていただければ、それはそれでいいと思っています。
柴:史実はこうですっていうことは常に伝えていて、そのうえでのドラマとしての描き方がなされていくかと思いますので、制作陣が全く史実を知らなくて書いているわけではないということだけ押さえていただければと思います。
――ドラマと史実のせめぎあいについてうかがいましたが、脚本の創作面で面白いと思った点などを教えて下さい。
柴:やっぱり、凡人には思い付かない展開を考えつきますよね。第8回の「墨俣一夜城」は、「一夜で燃えたから一夜城」という描かれ方になっていて、そういったところは本当に素晴らしいと思います。
黒田:秀長の妻の慶(ちか)の描写が面白いというか、ここぞっていうときに慶がリードする場面があり、寧々よりもしっかりしているなと思います。詳しくは言えませんが、今後、慶のいいシーンがあるので、楽しみにしていてください。

姉川合戦の一場面
――そもそも、豊臣秀長に関する研究は、従来あまり進んでいなかったように思いますが、その点で、時代考証を担当するのは大変だったのではないでしょうか?
柴:秀長に関しては、これまでは、ほとんど研究がなかった状況です。「秀吉の弟」とか「秀吉の補佐役」とはいわれていても、具体的にどういう人物かわかっていませんでした。だからこそ、そこから積み上げて、時代考証としてアドバイスする必要があると思いました。
黒田:私は『真田丸』で時代考証をしたときも、わかっていないことを可能な限り調べたんですが、やっぱり歴史の研究者が時代考証に入っている以上は、その分野の研究を最先端まで進めるのが義務だと思っています。

――今回、時代考証として、史料を調べたり、準備を進めたりする中で、どんな秀長像が浮かび上がってきたのでしょうか?
黒田:秀吉って、なんでこんなに天下一統の過程が早いんだろうと思っていたら、「あ、秀長がいたからだ」っていうことがわかってきたんです。外様の大大名に対する取次を秀長がほぼ一人で務めていて、また軍事行動では常に別働軍の大将を務めている。だから、そんな秀長がいなくなったら、やっぱりその後が大変だろうなというのがわかってきましたね。
松川:昔からサポート役、補佐役といわれてきたけれども、実際に、そうだったということですよね。
黒田:補佐役ではあるけれども、非常に重要な役割を果たしていたということですね。やっぱり、今回の大河がなければそこまで調べることもなかったので、よかったです。
柴:秀吉の発給文書は約7000点とありますが、それを秀長の活動と合わせて考えることによって、大名の取次や、あるいは戦後処理、いわゆる仕置とかもその実態がよりわかってきましたよね。
松川:そういう面も、脚本にはかなり影響しているかなと思います。
黒田:興味深かったのは、秀長と奉行の関係ですね。たとえば秀長が奉行同士で意見対立しているのを調整したり、奉行が秀吉に言えない案件を秀長が伝えたりしている。だから、奉行にそんなに力がないんだなっていうのが明確にわかって、今までは秀長と奉行が対立したように解釈されている部分がありましたけど、それが全部成り立たないということがわかりました。従来の大河では、秀長が生きている段階から、石田三成が動き出す描写もありましたが、歴史的にはそういうのは全くないんですよ。
柴:それを踏まえていいますと、家康がどうやって豊臣政権の中ででてくるのかもわかってきましたよね。秀長が生きている間は、家康は豊臣政権下における関東・奥羽方面の軍事司令官なのですが、秀長がいなくなったことで、秀吉を支えるような助言役として出てくると。
黒田:そして羽柴秀次がいなくなったあと、秀吉が本当に頼れるのが家康だけになる。だから、今回の大河ドラマによって、研究面でも、秀吉政権の研究というのはこれから大きく変わらざるを得ないですね。
――黒田先生と柴先生は、今回でそれぞれ2回目の時代考証担当ということですが、お話をうかがうと、大河ドラマによって研究も進んでいくという、いい循環があるように見えますね。
柴:そうですね。大河ドラマによって研究がさらに進み、またそれが大河ドラマに反映されていくということだと思います。
更新:05月18日 00:05