
戦国時代というと、殺伐とした世を思い浮かべます。
でも、乱世にあっても人は人。主従の心通い合う様が伝わってくる逸話が、数多く残されています。頼りなさげな弱将や油断ならぬ謀将が見せる意外な横顔...。
そこからは、人間関係を良好に保つ秘訣も見えてくるかもしれません。
今回は、毛利元就と加藤嘉明の胸打つエピソードをご紹介しましょう。
※本稿は、『歴史街道』2024年5月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
戦場での献身的な行為は、つねに家臣から主君に向けられるだけとは限らない。その逆のこともある。
中国地方の大名・毛利元就というと、権謀術数を駆使した謀将という印象があるかもしれないが、次のような逸話が残されている。
元就の家臣に、岩木道忠という武将がいた。その道忠があるとき、戦場で敵の矢が左膝に刺さり、重傷を負ってしまった。道忠は陣に担ぎ込まれ、矢は引き抜いたものの、矢尻が骨に突き刺さったまま残り、どうしても取れない。その傷口を見た医者は、「足を切り落とすしかない」と匙を投げた。
すると元就は医者をどかせ、すでに腐りかけていた道忠の傷口に迷うことなく口を当てると、血膿を吸い出しはじめた。吸っては吐き出し、吸っては吐き出しをくり返しているうちに、やがて硬い物が傷口から零れ落ちた。骨に食い込んでいた矢尻が取れたのである。
こうして足を失わずに済んだ道忠は感激のあまり、「あなたのためなら命も惜しくはありません」と元就に誓った。だが、それを聞いた元就は「こんなことぐらいで感激して、命も惜しくないというのは本当の勇者ではない。部下の命を取り留めるために、これしきのことをするのは当たり前のことだ」と笑ったという。
もうひとつ、戦国時代の心温まる逸話を紹介したい。
加藤嘉明は豊臣秀吉の家臣で、「賤ケ岳七本槍」の1人に数えられている武将だ。その嘉明は南蛮渡来の焼物の蒐集に凝っており、とくに「虫喰南蛮」という10枚1組の小皿が自慢の品であった。
ところがあるとき、嘉明の家臣が誤って「虫喰南蛮」の1枚を割ってしまった。有名な「皿屋敷」の怪談は、家宝の10枚1組の皿の1枚を割ってしまった下女が怒った主人に殺され、幽霊となるという話だが、主君の大切な焼物を損なってしまった嘉明の家臣も手討ちにされることを覚悟したはずだ。
だが、このことを知った嘉明は、残った9枚の皿を持ってこさせると、家臣たちが見ている前ですべて打ち砕いてしまった。そして、周囲が啞然としているなか、次のように語ったと伝えられている。
「残りの皿を割ったのは、決して怒りのあまりしたことではない。皿が残っていると、いつ誰々が粗相して割ったのだと言われ続けることになる。それではその者がかわいそうだ。それゆえ、全部割って、最初からなにもなかったことにしたのだ」
嘉明が言葉だけで「許す」と言っても、皿が残っていれば、割ってしまった家臣はいつまでも残った9枚の皿を見るたびに罪の意識に苛まれることになるし、周囲の者もそのたびに思い出してしまうだろう。
また、嘉明自身も、いまは許す気でいても、いつか残った皿を見たときに「惜しい」と感じ、家臣を恨んでしまうかもしれない。だから、はじめから皿など存在しなかったことにしてしまったのである。
更新:05月09日 00:05