
井上馨
1914年に勃発した第一次世界大戦は、主にヨーロッパが戦場となったことから、日本人には遠くの国の出来事のようにも思える。しかし、この大戦には日本も参加し、その後の歴史に大きな影響を及ぼしていた。世界で紛争が収まらないいまこそ、知っておきたい世界大戦と日本のかかわりをQ&A形式で解説しよう。
【宇山卓栄(うやまたくえい/著述家)】
昭和50年(1975)、大阪府生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。代々木ゼミナール世界史科講師を務め、現在に至る。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説している。著書に『「民族」で読み解く世界史』『世界「民族」全史』など、近刊に共著の『日本人が知らない!世界史の原理』がある。
ドイツは、シュリーフェン・プランと呼ばれるロシア方面とフランス方面への両面戦争を展開しますが、予想以上に苦戦を強いられ、フランスとの西部戦線は膠着状態に陥ります。
アジアでは、日本が日英同盟の立場から、ドイツに宣戦布告し、中国及び太平洋のドイツ領を攻撃し、青島などを占領(後述)。
オスマン帝国は、ロシアやロシアが支援するバルカン諸国と対立していたことから、ドイツ・オーストリア側について参戦します。
イタリアは、ドイツ・オーストリアと三国同盟を結んでいましたが、両国には加担しませんでした。南チロルやトリエステといった「未回収のイタリア」をめぐり、オーストリアと対立していたからです。
イギリスは、イタリアにイギリス陣営(連合国側)に立って参戦するよう促します。その見返りとして、「未回収のイタリア」を割譲することを約束。結果、イタリアは1915年、三国同盟を離れ、連合国側に立って参戦しました。
1916年、ドイツは、フランス軍の守るヴェルダン要塞を攻撃(ヴェルダンの戦い)しますが、要塞を落とすことはできませんでした。
対する連合国は北フランスのソンムで、ドイツ軍に総攻撃をかけます(ソンムの戦い)が、勝敗は決まりませんでした。また、このソンムの戦いで、イギリス軍が初めて戦車を使用しています。
第一次世界大戦では、科学技術が応用され、戦車をはじめ、機関銃、飛行機や爆弾投下装置、潜水艦、毒ガスなどの新兵器、電報などの通信情報技術も使われました。
さらに、世界の多くの国々を巻き込みながら、軍人だけでなく、一般国民も戦争に動員され、参戦国が国力を挙げて戦う総力戦となります。
こうした中で、各国が終戦条件などの落とし所を見つけることができず、4年以上の長期に及ぶ戦争となったのです。
戦争に加え、「スペインかぜ」のような疫病も戦地のヨーロッパを中心に蔓延し、莫大な数の死傷者を出しました。主な参戦国の死者数は、ドイツが177万人、オーストリア=ハンガリーが120万人、イギリスが91万人、フランスが136万人、アメリカが12万人などで、総計852万人を超えました。
先述の通り、日本は当時、イギリスと日英同盟を締結していました。イギリスは第一次世界大戦がはじまると、日本に対し、アジア地域のイギリス商船をドイツ東洋艦隊の攻撃から守るように要請しました。大隈重信内閣はこれを承諾します。
しかし日本は、ヨーロッパの戦禍を奇貨として、アジアの支配権を強めようと考えました。維新の元勲・井上馨はこれを、「日本国運の発展に対する大正新時代の天佑(天の助け)」と表現しています。イギリスは日本の野心を危惧し、支援の要請を取り下げようとしましたが、日本は戦闘地域を限定することをイギリスに約束して、イギリスをひとまず安心させました。
ところが、日本はイギリス商船を守るという本来の目的を越えて、アジアにおけるドイツの支配領域を奪い取ろうとしていきます。まず1914年8月、ドイツに対し、中国海域からのドイツ艦隊の撤退と、ドイツが支配権を持っていた膠州湾租借地を中国に還付するために、日本に引き渡すことを勧告し、最後通牒を送り付けました。
しかし、ドイツがこれを黙殺したため、日本はドイツに宣戦布告。膠州湾を封鎖し、青島要塞を包囲します。ドイツ軍はすぐに降服し、青島を明け渡しました。日本は最後通牒で、「青島を中国に返還する」と言ったにもかかわらず、それを中国に還付せず、軍政を敷き、山東省全域を支配します。同時に、マーシャル、マリアナ、パラオ、カロリンのドイツ領太平洋諸島を占領しました。
1917年、第一次世界大戦の真っ最中、激戦がピークに達し、イギリスやフランスが身動きできない状態に陥ります。それを見計らった日本は両国に、中国山東省と太平洋のドイツ権益を日本が継承することを強引に認めさせました。日本はこれらの新しい支配領域をほとんど犠牲を払うことなく、易々と手に入れたのです。
一方、イギリスやフランスは苦戦を強いられ、ヨーロッパ戦線が膠着化していました。イギリスは余力のあった日本に対し、陸軍をヨーロッパに派遣するように要請しました。しかし、日本はこれに応じませんでした。
当時の外相の加藤高明は、「日本軍兵士は国民皆兵の徴兵制に基づき召集されており、国益に直接関与しない外征に参加させることはできない」と説明しました。
アジア地域で、イギリス商船を守るという名目で参戦した日本が、ヨーロッパ地域で苦戦しているイギリス本軍を見捨てたという事実は、イギリスやフランスを怒らせました。
日本はイギリスなどの連合国と良好な外交関係を築いていましたが、大戦後、ドイツの脅威が去ると、アジア・太平洋地域の邪魔者として、孤立させられていくのです。
更新:04月01日 00:05