
私たちは政治体制のあり方について「民主主義は正しい」「独裁は間違っている」と理念の戦いとして捉えがちです。しかし、世界地図でこの両者を色分けしてみると、驚くべき事実が浮かび上がります。「独裁的な国」の多くは「乾燥帯」や「内陸部」、「民主主義の国」の多くは雨の降る「温帯・湿潤地域」に位置しているのです。
なぜ、中国では皇帝による支配が続き、ヨーロッパでは議会制民主主義が生まれたのか。その謎を解く鍵は、「気候」にありました。地理と政治の驚くべき関係に迫ります。
※本稿は、宇山卓栄著『「地理で考える」は武器になる』(秀和システム新社)より一部抜粋・編集したものです。
政治とは何でしょうか。多くの人は、それを人間の思想や理念の戦いだと考えています。自由を愛する人々と、支配を望む人々。民主主義という「正しいシステム」と、独裁という「間違ったシステム」。そういったイデオロギーの対立として世界を見ています。
しかし、ここでも一度、その色眼鏡を外して、冷静に「地図」を見てみましょう。世界地図を広げ、現在「独裁的」あるいは「強権等」とされる国々を塗ってみましょう。中国、ロシア、北朝鮮、中東諸国、中央アジア…。次に、年間の降水量が少ない「乾燥帯」と、広大な大陸の内部にある「内陸部」を重ね合わせてみてください。
驚くべきことに、この二つの地図は、かなりの部分で一致します。
逆に、「民主主義」が定着している国々―西ヨーロッパ、アメリカ、日本、オセアニア―は、その多くが、雨が十分に降り、海に開かれた「温帯・湿潤地域」に位置しています。
これは偶然でしょうか? いいえ、違います。それはすなわち「その国が独裁になるか、民主主義になるかは、そこに雨が降るか、大きな川が流れているかで、あらかじめ決定づけられている」という仮説です。
私たちは「政治体制は、国民が選び取るものだ」と信じたがります。しかし、数千年の歴史を振り返れば、人間が選び取る以前に、大地がその選択肢を狭めている現実が見えてきます。
なぜ、中国では皇帝による支配が続き、ヨーロッパでは議会制民主主義が生まれたのか。その謎を解く鍵は、マルクスやロックの思想書の中ではなく、気象庁の雨温図の中に隠されています。
この謎を解き明かすために、20世紀の歴史学者カール・ウィットフォーゲルが提唱した「東洋的専制主義」とも呼ばれるこの考え方を元に、地理と政治の関係を説明しましょう。
人間が生きていくために、絶対に必要なもの。それは「水」です。特に、文明の基盤である農業において、水の確保は死活問題です。
古代文明が発祥した場所を思い出してください。エジプト(ナイル川)、メソポタミア(チグリス・ユーフラテス川)、中国(黄河・長江)、インダス(インダス川)。これらに共通するのは、「乾燥した大地に、巨大な川が流れている」という地理的特徴です。
ここは、雨が降りません。作物を育てるためには、川から水を引いてくる「灌漑(かんがい)」が必要です。しかし、大河の治水は、個人の力では不可能です。ナイル川や黄河は、一度氾濫すれば数万人を飲み込む暴れ川です。堤防を築き、数百キロにわたる運河を掘り、水を公平に分配する。これらを行うには、数十万人の労働者を動員し、指揮命令する、強力な「中央集権的なリーダー」が必要不可欠なのです。
もし、あなたがこの乾燥地帯の農民だったとします。あなたは一人では水を手に入れられません。「王様」が作った運河を使わせてもらわなければ、家族全員が餓死します。この状況下では、王様の命令は絶対です。「税金が高い」とか「自由がない」などと文句を言っている場合ではありません。水という「生殺与奪の権利」を握られている以上、あなたは王様にひれ伏し、絶対服従するしかないのです。
こうして、乾燥地帯の大河流域では、必然的に「一人の強力な専制君主」と、それに仕える「巨大な官僚機構」、そして水をもらうだけの「無力な民衆」というピラミッド構造が完成します。
これが、中国やエジプトで、古くから強大な統一王朝(独裁体制)が成立しやすかった地理的な理由です。彼らが独裁を好んだわけではありません。過酷な自然環境で生き延びるために、自由と引き換えに「強力な治水システム」を選ばざるを得なかったのです。
一方、民主主義が生まれたヨーロッパの地理的条件を見てみましょう。
アルプスの北側は、一年を通して適度に雨が降ります。大きな川もありますが、ナイルや黄河のような巨大な暴れ川ではなく、水量は比較的安定しています。
ここでは、巨大な灌漑工事は必要ありません。農民は、空から降ってくる雨水と、近くの小川や井戸があれば、家族単位や小さな村単位で十分に農業ができます。つまり「生きるために、強力な王様に頼る必要がない」のです。
これが政治構造に決定的な違いをもたらします。王様が命令しても、地方の貴族(騎士)や農民たちは反発することができます。「水」というライフラインが分散しているため、権力も分散するのです。
その結果、ヨーロッパでは絶対的な権力を持つ統一皇帝が生まれにくく、地方の領主たちが力を持つ「封建制」が長く続きました。王様は、彼らと交渉し、妥協しなければ国を動かせません。この「王権との交渉の場」こそが、後の「議会」であり「民主主義」の源流となったのです。
皮肉なことに、現代の私たちが享受している「個人の自由」や「民主主義」は、ヨーロッパ人の民度が高かったから生まれたのではありません。彼らが、「独裁者に頼らなくても、空から勝手に水が降ってくる」という、恵まれた気候(地理的幸運)の下に住んでいただけなのです。
この気候による呪縛は、現代になっても消えてはいません。中国共産党という組織を、単なる政治政党として見るのではなく、数千年前から続く「治水皇帝」の最新バージョンとして見てみると、その行動原理がよく分かります。
中国のトップ(歴代皇帝や共産党指導者)にとって、最大の悪夢は「反乱」ではありません。「水害」と「飢饉」です。広大な国土と、14億もの民を養う食料生産。これらを維持するためには、長江や黄河のコントロール(三峡ダムのような巨大プロジェクト)や、乾燥する北部へ水を送る「南水北調」といった、国家レベルのインフラ整備を強権的に進め続けなければなりません。
「個人の立ち退き拒否」や「環境保護団体の反対」などで工事を止めることは許されません。全体を生かすためには、個の自由を犠牲にしてでも断行する「強い権力」が必要だと、支配者も、そして心のどこかで民衆も思っている節があります。
「国が豊かになれば、いずれ中国も民主化するだろう」という西側の期待が裏切られ続けているのは、この地理的な土台を見落としているからです。彼らの土地が求める政治の形は、リベラルな話し合いではなく、水を確実にコントロールしてくれる「強い皇帝」なのです。
更新:07月31日 00:05