写真提供:NHK、以下同
大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK総合 毎週日曜 夜8:00~ほか)で、ついに本能寺の変が描かれた。織田信長役として、小一郎(のちの豊臣秀長)・秀吉とともに物語を牽引してきた小栗旬さんは、この歴史の一大転換点をどのように捉えたのか。お話をうかがうと、信長に扮した者にしかわからない、信長像とその最期の胸中が浮かび上がってきた。

――小栗さんは、織田信長をどう捉え、どのように演じられてきたのでしょうか?
“悲運の破壊神”だと思います。永禄3年(1560)以前、まだ“うつけ”と呼ばれていたころの信長は、単に戦で天下を取ろうとしていたのではなく、商業や流通を活性化させ、経済的に豊かな世の中をつくりたいと考えていたのではないでしょうか。
しかしそのビジョンは、当時の人々にはなかなか理解されなかった。そうしたなかで、信長は次第に「今の世の中を壊さなければ変えられない」という考えに至ったのだと感じています。
ただ、破壊神ならではの魅力もあるんですよね。以前、秀吉役の池松(壮亮)くんと信長像についての話をしていたときに、彼がおもしろいことを言っていたんです。「GOD(ゴッド)って、Generator(創造者)、Operator(経営者)、Destroyer(破壊者)だという説がある」と。新しい時代を創り出した秀吉、そしてそれを安定させた家康、という話をしてくれました。
そのときに「実は、破壊者が一番人気なんですよね」とも言われて、すごく腑に落ちたんですよね。人は、自分にはできないことをやっている存在に魅力を感じる部分があるからこそ、昔から破壊者は人々を惹きつけてきたのではないでしょうか。
そういう意味では、今回僕がつくりあげた信長像は単なる英雄や暴君ではなく、破壊神の面も表現できたんじゃないかなと思っています。

――信長にとって、豊臣兄弟とはどのような存在だったのでしょうか?
「自分の決断が狂わないための、最後の指針のような存在」だったのだと思います。
秀吉は、どれだけ厳しい状況になっても、「人々を喜ばせたい」「明るい未来をつくりたい」という思いを失わない人物でした。
そして小一郎(秀長/仲野太賀)は、信長にとって秀吉以上に頼ることのできる存在だった。そんな兄弟が互いを思い合い、支え合う姿を見るたびに、信長は自分にはつくれなかった世界を見せつけられていた気がします。それは羨ましさでもあり、家督継承を巡って争った弟・信勝(中沢元紀)にまつわる心の傷をえぐられるような感覚でもあったと思います。
だからこそ、信長は豊臣兄弟に特別な感情を抱いていたのではないでしょうか。第26回で秀吉から「殿と一緒に新しい世の中をつくりたい」と言われたとき、これだけ無理難題を押し付けてきたのに、まだ同じ理想を見てくれている人間がいる、と感じたはずです。
その瞬間、「この男になら未来を任せられるかもしれない」と思えたんじゃないでしょうか。だからこの物語の信長は、本能寺の変において、もし自分を討ちに来たのが光秀ではなく秀吉だったなら、喜んで最期を迎えたんじゃないかと思います。
――実際に本能寺の変を起こすのは光秀なわけですが、その信長の胸中はどんなものだったのでしょうか?
「なんて、俺は弱い人間だったんだろう」と感じていたと思います。信長の最期を考えるうえで大きかったのは、それまでの人生で経験してきた数々の裏切りです。
先述した信勝との家督争いに始まり、一度は信じ合える関係を築けるかもしれないと思った浅井長政(中島歩)の離反、さらに松永久秀(竹中直人)や荒木村重(トータス松本)の謀反など、信長は何度も人に裏切られてきました。
ただ、今回演じた信長は、一般的にイメージされるような冷酷な人物というより、相手に言い分があり、交渉の余地があれば許そうとしていた人間だったと感じています。実際に松永のことも二度許していますし、長政についても彼なりの事情は理解していたはずです。
そんな人生のなかで、秀吉だけは決して自分を裏切らない存在に見えていたことでしょう。もしかしたら信長は、「こいつと本当の兄弟になれていたら、自分の人生も違ったものになっていたんじゃないか」と感じた瞬間があったのかもしれません。
兄弟というテーマが物語全体を貫いているからこそ、信長が死を覚悟した瞬間、自分が築けなかった兄弟の絆や、清算できなかった過去が次々と頭をよぎったのだと思います。
自分のなかに残り続けていた傷や後悔が、まるで亡霊のように目の前に現われてきた。そうしたものと向き合った時に、信長は初めて「なんて、俺は弱い人間だったんだろう」と感じたのだと思います。

――ついに信長の最期・本能寺の変を迎えました。感想を聞かせてください。
ロケでの撮影だったので、本物の火に囲まれた映像には迫力があったと思います。スタジオでは出せない空気感や緊張感を表現できたのではないでしょうか。
それから今回の本能寺では、「なぜ信長は逃げなかったのか」ということをずっと考えていました。
様々な本を読んだ限りでは、信長は逃げると決めたら非常に判断が早い人物だったそうです。だからこそ、本能寺でなぜ逃げなかったのか、ずっと気になっていました。
そこで自分なりにたどり着いた答えが、「もう疲れてしまっていたんじゃないか」というものでした。
天下統一に向かって走り続け、多くの敵や恨みを抱えながら生きてきた信長にとって、逃げ続けた先に何があるのか、その終着点が見えてしまったのではないかと思うんです。
引退して穏やかに暮らそうとしても、いつ命を狙われるかわからない。そう考えた時に、「もう十分走り切った」という感覚があったのではないでしょうか。
だから僕自身は、最後まで勇ましく戦う信長ではなく、一度は逃げようとしながらも、それすら諦めてしまうような信長を演じたいと思っていました。もちろん作品としての形はありますが、今回の本能寺では、英雄としての最期というより、一人の人間として人生の終着点にたどり着いた信長を描けた気がしています。
更新:07月13日 00:05