歴史街道 » 本誌関連記事 » 西洋化を受け入れた日本、拒んだ中国 近代化を分けた思想の違い

西洋化を受け入れた日本、拒んだ中国 近代化を分けた思想の違い

2025年11月25日 公開

岡本隆司(早稲田大学教授、京都府立大学名誉教授)

中国

日本と中国は、西洋文明への向き合い方がまったく異なっていた。

19世紀の清朝では、アロー戦争後に「洋務」と呼ばれる取り組みが進む。もとは西洋との貿易事務「夷務」を言い換えた言葉で、自前の義勇軍を近代兵器で武装させる軍備近代化を進めた。一方で、国家体制そのものの改革にはほとんど踏み込めなかった。

対して日本は「和魂洋才」の名のもと、西洋の制度や技術を大胆に取り入れつつ、日本的な精神を守る姿勢を貫いた。本稿では、この2つの思想が日中の近代化をどう分けたのかを、書籍『教養としての「中国史」の読み方』より解説する。

※本稿は、岡本隆司著『教養としての「中国史」の読み方』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

日本は「和魂洋才」、中国は「中体西用」

中国における「洋務」の最大の特徴は、「地方の裁量で行われた」ということです。そのため取り入れられたのは主に武器で、政治システムの近代化といった全体の体制に関わるものは何も取り入れられていないのです。

よく日本はいち早く近代化を成し遂げたのに、なぜ中国はできなかったのか、といわれますが、中国の場合は国家として取り組まなかった、正しくは、国家として取り組むことができなかったからだといえるでしょう。

このことは、日中それぞれが西洋文明を受け入れるときに用いられたスローガンに如実に表れています。

日本でいわれたのは、「和魂洋才」。

この言葉が意味するのは、大和魂をもったまま装いや言動を西洋に変えるということですから、イメージとしてはシルクハットをかぶって燕尾服を着たサムライ、といったところでしょう。身なりや行動は西洋風にしても、その人の魂は日本人のままであるということです。

これに対し、中国でいわれたのは「中体西用」という言葉でした。

「体」は本体、「用」は枝葉末節、あるいは手段と訳されることが多いのですが、この言葉の意味を理解するには、朱子学について思い出していただく必要があります。

朱子学は理気二元論といわれますが、すべてのものを分けて考えます。

「理気」のほかにも、「道器」「知行」「士庶」など相反する意味をもつ対の言葉が数多く用いられ、「体用」もその一つです。

「体用」の「体」は、身体ではなく本体や根幹を意味し、「用」は手段や行動、表現などを意味しています。

問題は、朱子学におけるこうした対の言葉は、一つのものがもつ二つの側面を編み出したものではなく、別々のものの相対関係を表しているということです。

つまり、先に「和魂洋才」のイメージを一人の人物で示しましたが、「中体西用」は一人の人物では表せないものなのです。

イメージで表すなら、「エリートである士が、庶民に西洋の道具を使わせている」情景になります。人も別ですし、その服装もちがいます。

中体西用では、「中」と「西」、それぞれを担っているのは別々の人物だということです。清朝政府やエリートは「中体」を貫くけれど、庶民は「西用」してもいいぞ、というのが、「中体西用」の意味するものなのです。

地方・現場がその裁量において「西洋の技術や道具を用いる」のはいいのですが、朝廷・中央は「中体」でなければならず、相反する「西」を受け入れることは許されません。

ですから、「官民乖離」も「中体西用」も根底にあるのは同じ、士と庶の分離なのです。

ただ、この問題で誤解してほしくないのは、いち早く西洋化したからといって、それが必ずしも先進・後進を意味するものではない、ということです。

もし、西洋化こそが先進的で文明的だと考えているとしたら、それは西洋文明の価値観に染まっていることを意味します。西洋と東洋では地理的な条件も違うし、そこで培われた思想も価値観もまったく異なるのです。

歴史を見るうえで大切なのは、他者と比べて優劣をつけ、毀誉褒貶に走ることではなく、それぞれの異同を知り、その由来を理解することです。

たとえばモンゴル帝国では、政治・経済をそれぞれ多元的な主体が担ったため、全体を完全に一つにまとめることはできませんでした。そのため、全体を一律に規制する法制も完成していません。その結果、厳密な意味で官民一体となった「法の支配」が、機能しない社会にならざるをえなかったのです。

これは清にかぎらず、同じ「ポスト・モンゴル」であるオスマン帝国やムガル帝国でも、共通して見られる構造です。

念のためにいっておくと、こうした「法の支配」の有無は、その人々が暮らす自然環境と、それにもとづく歴史的結果であって、断じて本質的な優劣の問題ではありません。政治的なイデオロギーや主張ならともかく、学問的には現代世界のスタンダードから善悪を評価すべき問題ではないのです。

われわれ日本人はつい、近代化できたことがよいことであって、これこそが先進的なのだと考えてしまいがちですが、それは単に、日本がたどってきた歴史の到達点にすぎないということを知っておくべきです。

中国には中国がたどってきたスタイルがあり、それはたまたま西洋に合わせることができないものだったのです。

日本と中国は違うのです。

 

歴史街道の詳細情報

関連記事

編集部のおすすめ

なぜ呂不韋は相国に登りつめた? 人質だった子楚を見出した「商人の才覚」

島崎晋(歴史作家)

「秦王政を討て!」のちの始皇帝を襲った、刺客・荊軻の恐るべき暗殺計画

島崎晋(歴史作家)

始皇帝の死後、「陳勝・呉広」はなぜ反旗を掲げた? 農民反乱の火種となった圧政

島崎晋(歴史作家)