歴史街道 » 本誌関連記事 » 病に倒れたら男女関係はおしまい? 平安貴族の恋愛事情

病に倒れたら男女関係はおしまい? 平安貴族の恋愛事情

2025年07月31日 公開

山口博(富山大学・聖徳大学名誉教授)

平安貴族の恋愛事情

平安時代の和歌を掲載する歌集は、『古今和歌集』から『新古今和歌集』に至る勅撰八代集だけではない。『紫式部集』『清少納言集』など、個人歌集が平安時代だけでも172人分は知られている。

そこには、自然の美しい風物を愛でる花鳥風月の歌は少なく、躍動する人間の日常の姿が刻み込まれている。これらを取り込むことにより、初めて王朝貴族たちの色好み、政権争い、栄光と没落など、悩める平安貴族たちの群像図絵を画き出すことができるのだ。

本稿では、和歌に詠われた「病」にまつわる男女関係について、富山大学・聖徳大学名誉教授の山口博さんに解説して頂いた。

※本稿は、山口博著『悩める平安貴族たち』(PHP新書)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

【山口博(やまぐち・ひろし)】
1932年、東京生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。富山大学・聖徳大学名誉教授、元新潟大学教授。文学博士。2024年 逝去。
著書に、『王朝歌檀の研究』(桜楓社)、『王朝貴族物語』(講談社現代新書)、『平安貴族のシルクロード』(角川選書)、『こんなにも面白い日本の古典』(角川ソフィア文庫)、『創られたスサノオ神話』(中公叢書)、『こんなにも面白い万葉集』(PHP研究所)などがある。

 

病は縁の切れ目

病気になり、愛する女に冷たくあしらわれた男もいる。重病に罹った源信明は、幸い回復したが、愛人の閑院大君はお願いしても逢ってくれなかった。信明は大君に「何とかしてお逢いしたい」との思いで、


からくして惜しみ止めたる命もて 逢ふことをさへ止まんとやする
(やっとのことで惜しみ止めたこの命に対して、貴女は逢うことまでも止めようとするのか)

源信明(『信明集』)
 

と言い遣ると、大君は、いかにも信明の薄情を責め、自己を正当化するかのように、


諸共(もろとも)にいざとは言はで死出の山 いかでか一人越えんとはせし
(一緒に死のうとおっしゃらないで、なぜ一人で死出の山を越えようとなさったのですか)    

閑院大君(『後撰和歌集』雑三・『信明集』)
 

と、相手をとがめるような歌を送って来た。それでも信明は逢いたくて、病後にもかかわらず、無理をしてであろうか大君を訪ねたが、女は逢わなかった。
信明は帰宅して、


暁に鳴く木綿付(ゆうつけ)の我が声に 劣らぬ音をぞ泣きて帰りし
(暁に鳴く鶏の声に劣らない泣き声を上げて帰りました)

源信明(『信明集』)
 

と詠み送った。「木綿付鳥」は鶏のこと。それに対し、


暁の寝覚めの耳に聞きしかば 鳥より外の声はせざりき
(夜明けの寝覚めの耳に聞こえたのは鳥の鳴き声ばかりで、ほかの声は聞こえませんでした。もちろん貴方の泣き声も)

閑院大君(『信明集』)
 

と冷たく返した。大君は信明との縁を切りたかったのだろう。女にとっても男は欲情の対象、その男が病に倒れれば関係はおしまい。さっさと他の男に乗り換えたのだ。

信明は陸奥守として赴任、籬(まがき)の島の歌を詠み、藤原兼通に宛てて、早く帰京したいという思いを「君が知らぬか知りて知らぬか」と詠んだ男だ。陸奥赴任とこのエピソードとの前後関係は分からない。信明は60歳で没している。なお『大和物語』百十九段には、藤原真興の話として掲載されている。

信明は本当に重病だったのだろうが、恋の駆け引き、手練手管が日常であった貴族社会を見ると、手を切りたい、逢いたくない口実に病が使われていたような気もする。
次に挙げる大江朝綱の話も疑いたくなるのは、貴族社会の恋に毒された私の性か。

朝綱が愛している女に文を遣わすと、「心地悪し」と使が答えてきて、女は返事も寄越さなかった。そこで朝綱は、


あしひきの病はすとも文通ふ 跡をも見ぬは苦しきものを
(病気はしても文ぐらいは通わすことができるでしょう。貴女の文字を見ないのは苦しいものです)

大江朝綱(『後撰和歌集』恋二)
 

と送ったのだが、もちろん、女の返歌はない。「跡」は鳥の足跡で文字のことである。「あしひきの病」は脚気だ。病気の女は朝綱と手を切りたかったのか。それとも朝綱が名書家なので、病中に文字を書くのを恥じたのか。

信明も朝綱も女に袖にされているが、この男もそうだ。病で女に通うことができず、久しくして病が回復したので、永のご無沙汰のお詫びからと、


今迄も消えでありつる露の身は 置くべき宿のあればなりけり
(今まで露のようにはかない身が死ななかったのも、貴女という我が身を置く所があったからです)

よみ人知らず(『後撰和歌集』恋五)
 

と送った。ところが女は、


言の葉も皆霜枯れになりゆくは 露の宿りもあらじとぞ思ふ 
(文が離れ離れになってしまったのは、私の所など少しも宿ではないと思っているからでしょう)

よみ人知らず(『後撰和歌集』恋五)
 

と、病気など考慮することなく、ぴしゃりと抑え込むのである。

逆に、病中の愛人兵衛を見舞いもしないで、治ってから訪ね、女から皮肉られた男もいる。兵衛曰く、


死出の山麓を見てぞ帰りにし つらき人よりまづ越えじとて
(私は死出の山の麓を見ただけで越えずに帰って来たわ。つれない人より先には絶対に越えまいと決心して)

兵衛(『古今和歌集』恋五)
 

死出の山を越えるとは死ぬことだ。この二人の間はその後どうなっただろう。

インフルエンザだろうか。世間が騒然としていた頃、伊勢大輔の愛する男が久しい間訪ねて来なかった。伊勢大輔は、


亡き数に思ひなしてや訪(と)はざらん まだ有明の月待つものを 
(私が死んだと思って訪ねていらっしゃらないのでしょう。まだこの世にあって訪れを待っていますの)

伊勢大輔(『伊勢大輔集』)
 

と送った。「月」に譬えられた男は満更でもあるまい。「有明の月」は夜が明けても空に残っている月だから、まだ望みは残っているということを匂わせているのか。

紫式部の娘大弐三位も皮肉屋だ。親しくしていた男が、「貴女にもしものことがあれば、私は生き長らえることは決してしません」と言うと、大弐三位は、


人の世の再び死ぬるものならば 思ひけりやと試みてまし 
(命が一度死に、生き返って再び死ぬというのであれば、貴方の誓いの言葉が本当に私のことを思っていらっしゃるかどうか、試みることができるのですが)

 大弐三位(『藤三位集』)
 

と皮肉ったのである。

最後に、熱中症に苦しんでいるのに慰めにも来ないし、文も寄越さない女への曽禰好忠のぼやきを挙げよう。


夏衣薄くや人の思ふらん 我はあつれて過ぐすべき日を
(夏の衣が薄いようにあの女は薄情なのだ。私が熱中症で苦しんでいるのに訪ねてもこないし文も寄越さないのは)

曽禰好忠(『曽禰好忠集』)
 

「あつれ」は暑さに苦しむ、暑さ負けすることで、それに恋の思いの熱さに苦しむ様を掛けてある。
病は縁の切れ目で、病によって恋という男の生きがいの一部分は雲散霧消してしまうのだ。

歴史街道の詳細情報

関連記事

編集部のおすすめ

清少納言の「宮廷女房への成り上がり」 を叶えた和歌の才能

山口博(富山大学・聖徳大学名誉教授)

清少納言は軽薄な女? 紫式部が綴った「ライバルへの痛烈な批判」

山口博(富山大学・聖徳大学名誉教授)

『源氏物語』の時代は「一夫一妻制」だった? 男女関係におおらかな平安貴族の結婚制度

古川順弘(文筆家)