
平安時代の和歌を掲載する歌集は、『古今和歌集』から『新古今和歌集』に至る勅撰八代集だけではない。『紫式部集』『清少納言集』など、個人歌集が平安時代だけでも172人分は知られている。
そこには、自然の美しい風物を愛でる花鳥風月の歌は少なく、躍動する人間の日常の姿が刻み込まれている。これらを取り込むことにより、初めて王朝貴族たちの色好み、政権争い、栄光と没落など、悩める平安貴族たちの群像図絵を画き出すことができるのだ。
本稿では、和歌に詠われた晩年のおうち事情について、富山大学・聖徳大学名誉教授の山口博さんに解説して頂いた。
※本稿は、山口博著『悩める平安貴族たち』(PHP新書)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
【山口博(やまぐち・ひろし)】
1932年、東京生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。富山大学・聖徳大学名誉教授、元新潟大学教授。文学博士。2024年 逝去。
著書に、『王朝歌檀の研究』(桜楓社)、『王朝貴族物語』(講談社現代新書)、『平安貴族のシルクロード』(角川選書)、『こんなにも面白い日本の古典』(角川ソフィア文庫)、『創られたスサノオ神話』(中公叢書)、『こんなにも面白い万葉集』(PHP研究所)などがある。
黄昏、黄落...。「三十四、五にし成りぬれば、紅葉の下葉に異ならず」とした『梁塵秘抄』に悪乗りするなら、「四十過ぎれば濡れ落葉」だ。
王朝貴族の財産継承は女から女へとされていた。夫婦関係がしっかりしていて財産があれば、高齢を迎えても何とか切り抜けることができる。
ところが平安時代は現在のような法律婚ではなく、セックスの関係もかなり自由放埒だから、男がふらふらと他の女に吸い寄せられれば、「虚構の家」はたちまち崩壊。零落の道をたどるのは女たちだ。
若い時宮廷でチヤホヤされ放埒な毎日を送っていた宮廷女房連中も、年を取り、やつれてくると、顧みる男もいなくなる。
使い古した鏡にボヤッと怪しげに映る顔、よくよく見れば紛う方なき我が顔。
鏡曇りては 我が身こそ やつれける 我が身やつれては 男退け引く
(この曇り鏡に映った顔は誰?あら、私だわ。これは曇った鏡だけのせいではなく、年経て我が身がやつれ果てているのだわ。ああ、こんなにやつれてしまったら、男が遠ざかるのも無理ないわ)
(『梁塵秘抄』)
と嘆くのである。
女にとって加齢は恐怖の対象だ。男の足が遠のき、貢いでくれる男がいなくなれば生活に窮し、市街地の家を売って郊外の安い所に移転するしかない。その気の毒な女の一人が歌人の伊勢である。
9世紀末に藤原摂関家の時平・仲平兄弟を愛人にしたかと思うと、宇多天皇の寵愛を受けて皇子を産み、次には宇多天皇の皇子敦慶親王との恋にふけって女の子を産んだ。しかし晩年には貧乏になり、家を売る。
「家を売りてよめる」という詞書で、生活のために家を銭に換える悲哀に、
飛鳥川(あすかがわ)淵にもあらぬ我が宿も 瀬に変はりゆくものにぞありける
(飛鳥川は流れが変わりやすく、昨日の淵が今日は浅瀬になると聞いているわ。わが家はその飛鳥川ではないのに、銭に変わってしまったのよ)
伊勢(『古今和歌集』雑下)
と溜息をつく。「瀬に」に「銭」を掛けている。昨日までは万乗(ばんじょう)の君の寵愛を受け、今日は銭のために我が家を売る。まさに飛鳥川の無常の世か。
家は売れた。伊勢は、今は新しい主の住むかつての我が家を訪れ、主は替わっても変わらず咲く桜の花を見て、
花の色の昔ながらに見ゆめれば 君が宿とも思ほえぬかな
(桜の花は私が住んでいた時と同じに咲いているわ。それで、今でもこれは私の家で、貴女の家とは思われないの)
伊勢(『伊勢集』)
と詠んだ。きっとむせび泣いたことだろう。
伊勢の家は二条東洞院にあったので内裏に近く、後の道長の枇杷殿の側だ。『源氏物語』の光源氏の別邸二条東院もこの辺りを想定しているのか。都の一等地だ。
11世紀末の平仲子も家を売る。家を人手に渡し立ち退く時に、
住み侘びて我さへ軒の忍草(しのぶくさ) 忍ぶかたがた茂き宿かな
(長く住み侘びるほど住んだので、私自身も古い軒端に生える忍草のようになってしまい、それでも偲ばれる家であるのよ)
平仲子(『金葉和歌集』雑部上)
と、柱に書き付けた。軒の忍草はあばら家の象徴である。仲子は父も母方の祖父も地方官程度の中流貴族に過ぎないが、仲子は歴とした後宮内侍司の職員で、掌侍の身分であり、呼び名は周防内侍。掌侍は従五位相当だが、女の貰う俸給は男の半分と定められていたから、換算すると年俸700万円くらいか。定年制のない時代だから、年を取っても働ける。
彼女は70歳まで生きたそうだが、さすがにこの年での勤めは難しかろう。長命であったことも、晩年の生活難の原因か。それで家を売ったのだ。夫のあった形跡はなく、愛人の名のみが何人か伝わっているが、老女のパトロンになり面倒を看てくれる男はいなかったのだ。
仲子の家は、冷泉小路の北、西堀川小路の西というから、二条大路の北側で、職場のある内裏にも近く、交通至便。宮廷出仕の女の住宅としては最高である。それにもかかわらず売却せねばならぬ時の心はいかばかりか。
住人の喪失と廃墟、夕暮れの中に灯りもなく暗い家を見ると、有為転変、無常、寂しさがひしひしと身に迫る。そのような荒れ果てた家を見てある人は、
荒れにけりあはれ幾世(いくよ)の宿なれや 住みけん人の訪れもせぬ
(荒れ果ててしまったものだ。ああ、いったい幾世代経た家なのだろうか。かつて住んだ人も訪れようともしないなあ)
よみ人知らず(『古今和歌集』雑下)
と、呆然と眺めるのである。『古今和歌六帖』(第二帖「宿」)は、この宿を伊勢の家とする。伊勢の家売却の話は、彼女がかつて宇多天皇の御息所(みやすどころ)でもあったがために、喧伝されたのだろう。
このように廃屋は有為転変・無常観を搔き立てるのだが、清少納言は、
女が一人で住んでいる家などは、ひどく荒れ果てていて、土塀なども壊れ、池には水草が生え、庭には草茂り寂しげな様子である所こそ、しみじみとした感じだ。
清少納言(『枕草子』「女の一人住む家などは」段)
などと言い、能天気そのものである。荒廃した邸宅で貧窮の生活をする女は、物語の中のヒロインだけで結構だ。実際に荒れた家に住む女、仕方なく家を売る女を、清少納言はどう感じたのだろうか。紫式部が「風流にほど遠いことまでも、ああと感動し、素敵と思うから、的外れの様になる」と清少納言を非難した(『紫式部日記』)気持ちも分かる。
清少納言の父元輔は沈思黙考することなく口から出まかせに歌を詠んだそうだが、エッセイと歌とは異なっても、文学に対する姿勢は親子で似るものなのか。
家を売る女たちには共通した点がある。中流貴族以下出身の女房であり、高齢化していることだ。法律婚の現代は、年を取り過ぎたからといって妻を捨てるなど、とんでもない話だが、法的拘束のない当時、捨てられた女は多い。小野小町をはじめ、平安の女が晩年に落ちぶれみじめな生活をしたという話があるのは、そういうことからだ。
大邸宅を持ってさえいれば男は通って来て貢いでくれる。老後の生活のために家を売って銭にするには、大きな家のほうが、高値がつく。広いマイホームが欲しい! 清少納言は『枕草子』でこういうのである。
大きいほうがよいもの。家。
清少納言(『枕草子』「大きにてよきもの」段)
広い奇麗な家を造り、親族はもちろん親しい人や宮仕えしている人を住まわせて置きたいの。
清少納言(『枕草子』「家広く清げにて」段)
この理想的条件に適う邸宅が、『源氏物語』の光源氏の六条院と別邸二条東院だ。
更新:08月16日 00:05