2025年04月14日 公開
2025年04月15日 更新

太平洋戦争中、日本の本土防空戦における最大の脅威は、アメリカ陸軍の大型戦略爆撃機B-29「スーパーフォートレス」(超空の要塞)であった。日本軍は、陸海軍ともに特性のある局地戦闘機を繰りだし、壮絶な戦いをくりひろげた。ここでは、B-29迎撃戦で撃墜王と称される樫出勇(かしいで・いさむ)の戦いぶりを通して、本土防空戦の一端を紹介しよう。
日本本土に来襲するB-29を初めて撃墜したのは、山口県・小月基地を拠点にしていた陸軍航空隊飛行第四戦隊(以下、四戦隊)の樫出勇中尉である。
昭和19年(1944)3月以降、実戦配備が可能になったB-29は、中国の前進基地から日本本土を空襲する「マッターホルン作戦」に基づき、次々とアメリカ本土を発進。大西洋を横断し、北アフリカなどを経て、インド・カルカッタ基地に集結した。
4月26日、単独飛行中のB-29と陸軍一式戦闘機「隼」2機が、ビルマ戦線の中印国境で交戦。双方とも墜落しなかったが、これが日本軍機とB-29との初対戦となった。
6月15日夕刻、中国の成都基地に進出していた第二〇爆撃兵団のB-29 75機が出撃した。ただし、故障などで脱落した機体があり、実際に飛行を継続できたのは63機(機数は文献により異なる。以下同じ)。
これより前、大本営陸軍部はB-29の成都進出を確認すると、その航続距離を推定したうえ、福岡県・八幡製鉄所に代表される北九州の工業地帯に来襲すると予測。四戦隊と飛行第五九戦隊から成る第一九飛行団を編制し、夜間爆撃、昼間の高高度爆撃を想定した迎撃訓練に当たらせていた。
四戦隊には、二式複座戦闘機「屠龍」35機が配備された(実際に「屠龍」と呼称されるのは11月以降)。
屠龍は海軍の「月光」と同じく、エンジンを2基搭載した双発戦闘機である。前席に操縦士、後席に偵察員(航法や通信も担当)が乗り込む。
樫出は、陸軍少年飛行兵第1期生である。若くしてノモンハン航空戦に参戦し、ソ連機5機以上を撃墜している。昭和16年(1941)7月、陸軍航空士官学校を卒業し、原隊の四戦隊に復帰した。
屠龍の装備は型により異なるが、樫出の愛機には機首前方に37ミリ対戦車砲、胴体上部(背部)に20ミリ機関砲が装備されている。機関砲は、月光の斜銃に倣ったもので、陸軍では「上向き銃」と呼んだ。
ちなみに、海軍は20ミリ以上でも機銃と称する。エンジン出力を左手で制御する絞り弁を、海軍はスロットルレバーと呼ぶのに対し、陸軍はガスレバーと呼ぶ。
陸軍戦闘機の発射装置は、一式戦(隼)、二式単座戦闘機(鍾馗)までは海軍と同じくスロットルレバーについているが、屠龍、三式戦(飛燕)など後発の戦闘機は操縦桿に発射装置がある。海軍の制式戦闘機で操縦桿に発射装置があるのは、月光だけである。
エンジンを始動させるには、海軍ではエナーシャ(手動慣性始動装置)を使うのに対し、陸軍機ではトラック型の専用始動車がプロペラハブ(中心軸)を回して始動する。
6月15日午後10時40分、飛行師団と西部軍司令部から警戒警報が発令され、第三攻撃隊の樫出は戦闘配置についた。各機は始動車による始動でエンジンを唸らせている。
「戦隊は全機出動、要地上空3000、朝鮮方面より侵入する敵機を邀撃すべし」
16日午前0時過ぎ、可動機24機(8機とも)が次々に離陸し、上空で編隊を組みながら、要地である八幡、小倉付近の北九州工業地帯へ向かった(五九戦隊は飛燕の練度が不十分で、出撃を見送った)。
四戦隊は全機に高性能の無線電話(以下、無線)が装備され、地上の戦闘指揮所だけでなく、機上の隊員どうしでも高感度の通話ができる。高度3000メートルで、戦闘指揮所からの無線により「敵機は要地上空に侵入、各隊攻撃すべし」との戦隊長命令が下された。
ほとんど同時に、地上の照空灯(探照灯)が一斉に上空に照射され、高射砲が火を噴く。四戦隊は地上部隊の照空灯隊、高射砲隊との協同訓練もしている。
闇夜に、四発大型爆撃機の機影が浮かびあがる。なかにはB-24と誤認する隊員もいたが、樫出はB-29と直感した。
照空灯隊は、単縦陣で侵入してきた敵機を捕捉すると、3本の光芒で追跡する。敵機は逆に照明弾を投下。灯火管制を敷いて真っ暗だった八幡の市街地が照らされる。
「ただいまより攻撃」
第一攻撃隊長・小林公二大尉の声を皮切りに、各隊の第一撃を告げる声が無線に入る。樫出は高度4200メートルまで上昇すると、友軍機であることを示す標識灯を点滅させ、反航する敵機に突進した。
みるみる巨大な機体が眼前に迫る。距離80メートル。激突寸前で37ミリ対戦車砲の引金を引く。砲口から発射された砲弾は、敵機の左翼取り付け部に命中。とっさに操縦桿を操作し、敵機の脇をすり抜けて離脱する。振り返ると、B-29は火炎に包まれ、落下していった...。
この日、B-29の日本本土初爆撃となった八幡空襲で、四戦隊は樫出の戦果を含む7機を撃墜した(確実4機、不確実3機。米軍側の記録とは異なる。以下同じ)。 日本軍は墜落したB-29二機を回収し、機体の性能などを徹底的に分析する。
樫出はこれ以降も、北九州に来襲するB-29の迎撃戦で、37ミリ対戦車砲や上向き銃を駆使し、獅子奮迅の活躍をする。
終戦までに、B-29だけで最多記録となる26機を撃墜。陸軍航空隊の撃墜王として名を馳せた(最終階級は大尉)。 戦後、『B29撃墜記』を著している。
更新:04月20日 00:05