小早川秀秋、脇坂安治、小川祐忠~関ヶ原「裏切り者」たちの思惑(1)
小早川秀秋、脇坂安治、小川祐忠~関ヶ原「裏切り者」たちの思惑(1)
松尾山・小早川秀秋陣跡から眺める関ヶ原古戦場 関ケ原合戦の「裏切り者」といえば、小早川秀秋が知られるが、脇坂安治、小川祐忠、朽木元綱、赤座直保、吉川広家も、東軍への内応者とされる。なぜ、彼らは西軍から東...
歴史街道 » #関ヶ原の戦いの記事一覧
松尾山・小早川秀秋陣跡から眺める関ヶ原古戦場 関ケ原合戦の「裏切り者」といえば、小早川秀秋が知られるが、脇坂安治、小川祐忠、朽木元綱、赤座直保、吉川広家も、東軍への内応者とされる。なぜ、彼らは西軍から東...
心優しき猛将・立花宗茂 立花宗茂は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将だ。筑後(福岡県)柳川に拠点を構え、豊臣秀吉に可愛がられた。秀吉が宗茂を知ったのは、島津征伐のときだ。当時、北九州を...
戦国武将「お墓」でわかる意外な真実 関ケ原で討ち死にか、落ち延びたのか? 食い違う記録 太閤秀吉が死んだ後の豊臣家の行く末を、一番心配していたのは石田三成である。 その三成が4万石...
豊臣家の武将たちを二分したもの 関ケ原合戦に臨んだ東軍武将の多くは、「石田三成憎し」の感情から徳川家康に味方したといわれます。そもそも彼らが三成を憎んだのは、朝鮮出兵において軍奉行を務めた三成から、不...
更新:11月22日 00:05