“八月十八日の政変”はなぜ起きたのか? 「幕末京都」の5年間
“八月十八日の政変”はなぜ起きたのか? 「幕末京都」の5年間
大政奉還の舞台となった二条城(二の丸御殿) 大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一は、京都にいる一橋慶喜に仕えた。 その京都は、まさに政局の中心地であった。八月十八日の政変から鳥羽・伏見の戦い...
歴史街道 » #会津藩の記事一覧
大政奉還の舞台となった二条城(二の丸御殿) 大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一は、京都にいる一橋慶喜に仕えた。 その京都は、まさに政局の中心地であった。八月十八日の政変から鳥羽・伏見の戦い...
佐川官兵衛討死之地碑(熊本県南阿蘇村) 【今日は何の日】明治10年3月18日、佐川官兵衛が西南戦争で戦死 明治10年(1877)3月18日、佐川官兵衛が西南戦争で戦死しました。戊辰戦争では薩長から「鬼佐川...
会津若松城 会津藩士・神保修理が切腹 今日は何の日 慶応4年2月22日 慶応4年2月22日(1868年3月15日)、神保修理が切腹しました。幕末の会津藩士で、開明的な視点の持ち主として知られ、藩主・...
足利氏の菩提寺、等持院(京都市) 足利尊氏、義詮、義満の木像の首が三条河原に晒される 今日は何の日 文久3年2月22日 文久3年2月22日(1863年4月9日)、京都で足利三代木像梟首事件が起こりま...
会津藩士・山本覚馬が生まれる 今日は何の日 文政11年1月11日 文政11年1月11日(1828年2月25日)、山本覚馬が生まれました。幕末の会津藩士で、新島(山本)八重の実兄です。今回は彼の卓見を示す『管...
幕末の会津藩主、京都守護職・松平容保が生まれる 今日は何の日 天保6年12月29日 天保6年12月29日(1836年2月15日)、松平容保が生まれました。幕末の会津藩主で、京都守護職を務めたことで知られま...
土津神社 保科正之墓所(福島県猪苗代町) 会津藩祖・保科正之が没 今日は何の日 寛文12年12月18日 寛文12年12月18日(1673年2月4日)、保科正之が没しました。会津藩祖で、4代将軍家綱を補佐し...
鶴ヶ城開城。会津戦争が終結 今日は何の日 明治元年9月22日 明治元年9月22日(1868年11月6日)、会津藩が新政府軍に降伏し、会津戦争が終結しました。 8月23日の朝、新政府軍が若松城下に侵攻したところ...
今日は何の日 慶応4年8月21日 会津戦争、母成峠の戦い 慶応4年8月21日(1868年10月6日)、会津戦争で国境の母成峠の戦いが行なわれました。国境を突破された会津藩は、以後、籠城戦を余儀なくされることになり...
今日は何の日 昭和6年6月26日 東京帝国大学総長・山川健次郎が没 昭和6年(1931)6月26日、東京帝国大学総長・山川健次郎が没しました。会津藩士で家老山川大蔵(浩)の弟、山川捨松の兄にあたります。 ...
萱野権兵衛の墓(東京都港区 興禅寺) 会津藩家老・萱野権兵衛が切腹 今日は何の日 明治2年5月18日 明治2年5月18日(1869年6月27日)、会津藩家老・萱野権兵衛が切腹しました。戊辰戦争に敗れ...
今日は何の日 明治36年4月28日 幕末の会津藩家老・西郷頼母が没 明治36年(1903)4月28日、西郷頼母が没しました。幕末の会津藩家老で、藩主・松平容保の京都守護職の継続については一貫して批判的であったこ...
『歴史街道』2013年7月号 より わが生命を賭けて、理不尽を断じて許さず 慶応4年(1868)8月23日。新政府軍が会津藩の城下町若松に乱入した、その日。城下では 200人近くの人々が、自刃して果てた。この壮絶...
『歴史街道』2013年2月号[総力特集・八重と幕末会津]より 仇はこの姉がとってやる!七連発スペンサー銃を手に籠城戦へ (この百発を撃ちつくすまで命があればよい)。亡き弟・三郎の形見の着物を身にま...
『歴史街道』2013年4月号 より 山本覚馬の墓(京都市) 「今、日本にとって急務なのは、内戦ではない」。 戊辰戦争の最中、薩摩藩に幽閉されながらも、日本の近代化を進めるための方策を、新政府...
『歴史街道』2013年2月号 より 「戦う女」八重の獅子奮迅の働き 新島八重−旧姓・山本八重は、幕末の弘化2年(1845)に会津藩の砲術(銃術)師範の家に生まれ、会津戦争では当時最新鋭の7連発式スペンサー...
更新:11月22日 00:05