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山本八重と会津戦争 「理不尽」を断じて許さず

2013年06月21日 公開
2022年07月05日 更新

中村彰彦(作家)

『歴史街道』2013年7月号より会津若松城

わが生命を賭けて、理不尽を断じて許さず

慶応4年(1868)8月23日。新政府軍が会津藩の城下町若松に乱入した、その日。城下では 200人近くの人々が、自刃して果てた。この壮絶な最期や、白虎隊の少年兵たちの自刃を指して、「会津の滅びの美学」などと称する人もいるが、見当違いも甚だしいだろう。なぜなら彼らは、単に死を求める短慮で命を散らしたのではないからだ。むしろ彼らは、非道な理不尽の積み重ねの中で、決然と「人間としての正しい生き方」を貫いたのである。会津の人々が、我が身を犠牲にしてでも断固として守り抜こうとしたものとは、何であったのか。

 

到底信じがたいほどの「理不尽」

慶応4年(1869)8月23日、新政府軍が会津藩の城下町若岩松に攻め寄せます。その進軍はあまりに早く、会津藩兵の多くはまだ、藩境などで戦っていました。

城下住まいの武家の家には「危急の際には城の鐘を鳴らす。それを合図に入城せよ」とお触れが出されていました。しかし、敵が急接近したために、時間的な余裕がありません。鐘が鳴り響く中で、人々は決断を迫られます。

会津藩砲術師範の娘・山本八重は、城に入って断固戦うことを選びました。そして得意の射撃の腕をふるい、殺到する敵軍を撃ち倒し、城を守り抜くことに大きく貢献します。

しかしその一方で、城に入り遅れた人たちや婦女子を中心に、200人近くの会津藩の人々がその日のうちに自宅などで自刃して果てました。そのあまりの壮烈さは、新政府軍の心肝を寒からしめるものでした。

このような数多くの婦女子の悲劇、あるいは白虎隊の少年兵たちの自刃などを指して、「会津の滅びの美学」などと言われることもあります。しかし、それは大きな間違いであると言わざるを得ません。会津人たちは断じて、ただただ死を求めるという短慮の結果として死んでいったのではないからです。

そもそもあの時、会津藩士たちは、あまりに理不尽な状況に直面していました。しかし彼らは各々に、その理不尽な状況の中で、決然として「人間として正しい生き方」を貫いていったのです。

では、彼らが直面した「理不尽な状況」とは、どんなものだったのでしょうか。そして八重をはじめ会津人たちは、それにどのように立ち向かっていったのでしょうか。

そもそも会津藩が窮地に追い込まれた原因は、テロが吹き荒れる京都の治安を守るために新設された「京都守護職」を引き受けたことにありました。しかも、それは自ら望んで就いたのではなく、半ば押し付けられたものでした。それでも会津藩主松平容保と藩士たちは、動乱の京都で懸命に働き、孝明天皇から厚い信頼を勝ち取るに至ります。孝明天皇がいかに容保を信頼していたかは、会津藩が在京の長州藩士たちと尊攘激派の公卿たちを京から追放した文久3年(1863)の「八月十八日の政変」の2カ月後に、孝明天皇が容保に宸翰(天皇直筆の手紙)と御製(天皇自作の和歌)を下賜していることからもわかります。

しかし、孝明天皇が慶応2年(1866)末に突如崩御すると、状況は一変します。そもそも会津藩が長州藩士らを追放したのは薩摩藩と手を結んでのことでしたが、この頃になると、薩摩は逆に長州と手を結び(薩長同盟)、討幕に全力を挙げるようになっていたのです。

将軍徳川慶喜は「大政奉還」という奇手で、挙兵の機を窺う薩摩藩の鼻をあかそうとしますが、西郷隆盛は、薩摩藩江戸藩邸に相楽総三はじめ尊攘志士たちを数多く集め、彼らに江戸の町で強盗、強姦、争乱などを起こさせて、幕府との戦端を開くべく挑発します。西郷にとって志士たちは、討幕のためには死ぬこともやむを得ない「捨て駒」でした。

一方の会津藩や幕府側は、むしろ日本人が国を二分して戦うことで、西洋列強に付け込まれて亡国に追い込まれることへの危機感を持っていました。会津戦争でのことですが、会津藩に武器を売っていたプロシャ人・ヘンリー・スネルが奥羽越列藩同盟側の苦戦を見て「ベトナムへ行って傭兵を連れてくる」と提案したのに対し、容保は言下に拒否しています。自分たちの危機より、日本を列強の手から救うことを優先したのでした。

しかし、喧嘩や戦争では、良識ある人間より、居直った者のほうが強いのが道理です。結局、薩摩の非道な挑発に乗せられて鳥羽・伏見の戦いへと引きずり込まれた慶喜も会津藩も、朝敵の汚名を着せられることになってしまいます。京都の治安を守り続けた会津からすれば、到底信じ難いほどの状況の大変転でした。

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