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山本八重と会津戦争 「理不尽」を断じて許さず

2013年06月21日 公開
2022年07月05日 更新

中村彰彦(作家)

松平容保

生命とは、ここぞという時に燃焼し尽くすもの

さらに会津藩は、徳川慶喜からも裏切られます。慶喜は鳥羽・伏見の戦いの敗報が伝わると、松平容保らを強引に引き連れ、本営であった大坂城から海路脱出。江戸に戻ってしまうのです。普通ならば極刑に処されてもおかしくない敵前逃亡でした。奮闘する藩士を置き去りにせざるを得なかった容保の心中はいかばかりだったでしょうか。江戸に帰ると慶喜は、主戦派と見られる家臣や譜代大名たちに一方的に江戸城への登城禁止を申し渡し、自分はさっさと城を出て謹慎します。

容保も登城差し止めとなりました。長年、身を粉にして幕府と徳川家のために尽してきたのに、強引に敵前逃亡させられた挙句、見捨てられてしまったのです。容保は、この時の断腸の思いを込めて漢詩を賦しています。

「古より英雄数奇多し(古来、英雄は数奇な運命を辿ることが多い)
何すれぞ大樹 連枝をなげうつ(なぜ将軍はわれら親藩を見捨てるのか)
断腸す 三顧身を許すの日(幾度もの依頼に京都守護職を受けたのは断腸の思いだ)
涙を揮う 南柯夢に入るとき(儚い都での日々を想い、こぼれる涙をふるう)
万死 報恩の未だ遂げず(帝への報恩の志を未だ遂げていないことは万死に値し)
半途にして墜業 恨みなんぞ果てん(業半ばで失墜したことへの痛恨は極まりない)
暗に知る 気運の推移し去るを(気運が移り去ったことを暗に知り)
目黒橋頭 子規啼く(目黒橋の橋頭には、ホトトギスの痛切な声が響いている)」

容保は涙を呑んで会津に戻るしかありませんでした。そして万一に備えつつ恭順の意を示す「武備恭順」の態度を示します。「武備恭順」は誇りある武家としては当然のことでしたが、新政府側は会津藩を許そうとしません。江戸城が無血開城になったので振り上げた拳を叩きつける先を失い、「腹ふくるる思い」を抱いていたのです。とはいえ、最大の朝敵であるはずの慶喜の恭順は認められ、慶喜に従った容保が許されないのは、京都時代の私怨を込めたあまりに理不尽な扱いでした。

会津の苦境を見かねた仙台藩や米沢藩が嘆願書を出しますが、奥羽鎮撫総督府下参謀として仙台藩などとの交渉に当たった世良修蔵(長州藩)は、野卑かつ無礼な態度で聞く耳を持ちません。そして、「白河以北、一山百文」と奥州を見下す増長した振る舞いに、怒り心頭に発した仙台藩士らが世良を斬殺。会津を救うために奥羽越列藩同盟を結成していた東北諸藩と新政府軍の戦いが始まるのです。

しかし、奥羽越列藩同盟は一種の「友情同盟」のようなもので、戦略的連携が充分とは言えませんでした。さらに、幕末の度重なる戦いで実戦経験を積み、最新兵器を装備した西国雄藩の軍と比べて、奥羽越列藩同盟の藩(ことに仙台藩)は実戦経験も装備も乏しく、そのため奥州への関門で、会津への入り口の1つでもある白河口の戦いで決定的な敗北を喫してしまいます。

現代の日本人であれば「戦いの大勢が決したのなら、さっさと降伏すればいい」と考えるかも知れません。しかし、当時の武士にとって、それは到底考えられぬことでした。

「城下の盟」という言葉があります。城を開けて敵に屈服することを意味しますが、これはまっとうな武家にとって最も恥ずべきことでした。後世まで「城で討死しなかった卑怯者」と後ろ指を差される屈辱に晒されるくらいなら、見事に斬り死にしたほうがよほどいい。たとえ命を捨てようとも、名を惜しむべきだ、と考えたのです。

歴史街道2013年2月号でも紹介しましたが、会津藩の子弟が必ず学んだ会津藩校日新館の教科書『日新館童子訓』に、戦国時代の武将・高橋紹運が島津軍の降伏勧告に対して次のような言葉を返して玉砕した故事が載せられています。

「およそ勢いが尽き衰運おおいがたくなったといって志を変えるのは弓矢取る身の恥辱であり、さような者は人につまはじきされるもの。人生は朝露が日射しに消えるようにはかないものだ。ただ長く世に残るのは義名だけと存ずるにより、降参などはつかまつらず」(拙著『会津論語』PHP文庫)

はかない生命を惜しみ、おめおめと生き恥を晒すより、末代までも語り継がれる武名を遺そう。生命とは、ここぞという時を過たずに、燃焼し尽すべきものだ - 会津藩士たちは、その教えを肝に銘じていました。

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