2019年12月30日 公開
2023年10月04日 更新
平安神宮(京都市)
令和改元という節目の年に、歴代天皇の事績をふりかえります。今回は光仁天皇をお届けします。
※各天皇の年齢等については数え年で計算して記しています。
※即位年、在位年数などについては、先帝から譲位を受けられた日(受禅日)を基準としています。
※本稿は、吉重丈夫著『皇位継承事典』(PHPエディターズグループ)より、一部を抜粋編集したものです。
皇紀1397年=天平9年(737年)、即位前の光仁天皇(白壁王時代)の第一王子として誕生された山部王で、生母は百済の第25代王・武寧王を祖とする百済王族の末裔・和氏(やまとうじ)出身の高野新笠である。
皇紀1430年= 宝亀元年10月1日、父の白壁王が62歳で即位され、王子・山部王(34歳)は親王宣下を受けられる。
皇紀1433年=宝亀4年(773年)1月2日、前年3月2日に廃太子された他戸親王に代わって山部親王(37歳)を皇太子とされる。山部親王は他戸親王の異母兄である。
生母・高野新笠の出自が低かったため立太子は予想されていなかったが、異母弟の皇太子・他戸親王が突如廃されたため、37歳で立太子された。
皇紀1441年=天応元年(781年)4月3日、「譲位の宣命」が発せられ、先帝・光仁天皇が皇太子(山部親王)に譲位された。そして4月15日即位の礼を催行され、45歳で即位される。
翌4日、即位された桓武天皇が「立太子の宣命」を発せられ、同母弟の早良親王を皇太子(皇太弟)とされた。父帝・光仁天皇の譲位とほぼ同時であり、先帝・光仁天皇の意向の通りである。
皇太弟・早良親王は同母兄・山部親王と同様、母方が下級貴族で立太子は望めず、天平宝字5年に出家して東大寺や大安寺で修行され、親王禅師と呼ばれていた。ところが兄・山部親王(桓武天皇)が即位されたので、父・光仁天皇の勧めもあって、急遽還俗して立太子され皇太弟となられた。
11月13日、大嘗祭を催行された。
大嘗祭が催行された翌月12月23日、光仁天皇が崩御された。
更新:11月22日 00:05