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第49代・光仁天皇への皇位継承~天武系から天智系へ

2019年12月19日 公開
2019年12月19日 更新

吉重丈夫

光仁天皇陵(田原東陵)
光仁天皇陵(田原東陵、奈良県奈良市)
 

知っておきたい皇位継承の歴史

令和改元という節目の年に、歴代天皇の事績をふりかえります。今回は光仁天皇をお届けします。

※各天皇の年齢等については数え年で計算して記しています。
※即位年、在位年数などについては、先帝から譲位を受けられた日(受禅日)を基準としています。
※本稿は、吉重丈夫著『皇位継承事典』(PHPエディターズグループ)より、一部を抜粋編集したものです。
 

第49代・光仁天皇

世系32、即位62歳、在位11年、宝算73歳

皇紀1369年= 和銅2年(709年)10月13日、天智天皇の第七皇子・施基親王(志貴皇子)の第六王子として誕生された白壁王で、母は贈正一位・太政大臣紀諸人の娘・紀橡姫(きのとちひめ)である。

皇紀1430年=神護景雲4年(770年)8月4日、白壁王(62歳)が皇太子に立てられる。

称徳天皇の遺詔に「宜しく大納言白壁王を皇太子に立つべし」とあったからである。

そしてこの月21日、皇太子(白壁王)は「道鏡を造下野国薬師寺別当に任じ派遣する」との令旨(皇太子の命令)を下された。

10月1日、立太子されてから2ヶ月で「即位改元の宣命」が発せられ、白壁王が62歳で光仁天皇として即位される。元号は宝亀に改元された。

光仁天皇は天智天皇の嫡孫王子である。先帝の孝謙=称徳天皇までは、皇位は天武天皇の系統が継いでこられた。つまり壬申の乱のあと皇位はおよそ100年、天武天皇の系統が続いてきたが、ここで天武天皇の系統から天智天皇の系統に皇統が移ることになった。

世系(世代)もこの時、先帝・称徳天皇の34から白壁王の32と、文武天皇の代まで戻っている。

11月6日、白壁王は聖武天皇の第一皇女で妃の井上内親王(54歳)を皇后に立てられた。

井上内親王は聖武天皇の皇女で、孝謙=称徳天皇の異母姉である。

井上内親王は皇紀1381年=養老5年(721年)、5歳で伊勢神宮の斎王になられ、6年後の皇紀1387年=神亀4年、11歳で伊勢に下向された。その後、皇紀1401年=天平16年、同母弟の安積親王が薨去されたので、斎王の任を解かれた(28歳)。帰京されたのち、左大臣・藤原永手(房前の次男)らの推挙で白壁王(光仁天皇)の妃になられ、天平宝ほ字5年(761年)白壁王との間に他戸親王(おさべしんのう)が誕生される。

皇紀1431年=宝亀2年(771年)1月23日、他戸親王が11歳で立太子される。

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