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安閑天皇(第27代)から宣化天皇(第28代)への皇位継承

2019年07月05日 公開
2019年07月05日 更新

吉重丈夫

吉重丈夫著『皇位継承事典』

第28代・宣化天皇
世系26、即位69歳、在位4年、宝算73歳

皇紀1127年=雄略11年(467年)、男大迹王(継体天皇)の第二王子(皇統譜には第三子とある)として誕生された檜隈高田皇子(ひのくまのたかだのみこ)で、母は尾張の目子媛である。

『古事記』では第一子は大郎皇子(おおいらつこのおおじ 母は三尾君の先祖・稚子媛)とあり、皇統譜と符合する。

安閑天皇の同母弟で欽明天皇の異母兄に当たる。父の男大迹王に付き従って先帝の安閑天皇(兄王)と共に越前から都に上られた。

皇紀1195年=安閑2年(535年)12月17日、先帝で同母兄の安閑天皇が崩御される。

皇紀1195年=安閑2年12月、先帝・安閑天皇に皇子がなかったこともあり、同母弟の檜隈高田皇子(宣化天皇)が69歳で皇位を継承し即位される。

父の継体天皇が崩御された時、欽明天皇はすでに23歳、この時は27歳で即位されることも充分可能であったが、兄の勾大兄皇子が即位されたことで、弟の檜隈高田皇子も即位される。これも継体天皇の即位に当たって、予め諸臣との間で了解されていたものと思われる。

即位の翌皇紀1196年を宣化元年とする。

都を大和国檜隈廬入野宮(ひのくまいおりののみや 奈良県高市郡明日香村檜前)に遷される。

3月8日、仁賢天皇の皇女・橘仲皇女を皇后に立てられた。

皇子一人、皇女三人に恵まれる。上殖葉皇子(かみつうえはのみこ)、石姫皇女、小石媛、倉稚綾媛皇女(くらのわかやひめのひめみこ)である。

また、妃の大河内稚子媛(おおしこうちのわくごひめ)は一人の皇子・火焰皇子(ほのおのみこ)を産まれた。

これら二人の皇子は皇位継承を争われたことはない。上殖葉皇子は多治比氏の祖である。火焰皇子は椎田君の祖で、摂津に住んだと伝わる。

この宣化天皇の皇女・石姫皇女が次の欽明天皇の皇后に立てられる。

皇紀1197年=宣化2年(537年)2月1日、元のままに大伴金村を大連とし、物部麁鹿火(もののべのあらかひ)も大連とされた。そしてここで蘇我稲目が大臣となる。

皇紀1199年=宣化4年(539年)春2月10日、在位4年(3年2ヶ月)にして73歳で崩御される。

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