2019年07月05日 公開
2019年07月05日 更新
安閑天皇古市高屋丘陵
(大阪府羽曳野市)
各天皇の年齢等については数え年で計算して記しています。
※即位年、在位年数などについては、先帝から譲位を受けられた日(受禅日)を基準としています。
※本稿は、吉重丈夫著『皇位継承事典』(PHPエディターズグループ)より、一部を抜粋編集したものです。
皇紀1126年=雄略10年(466年)、男大迹王(おおどのおおきみ 継体天皇)の第一王子(皇統譜には第二王子、『日本書紀』では長子とある)として誕生された勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)で、母は尾張連草香の娘・目子媛である。
父帝・男大迹王に付き従って越前から都に上られた。
『古事記』では第一子は大郎皇子(母は三尾君の先祖・若比売)とあり、皇統譜と符合する。
皇紀1173年=継体7年(513年)12月8日、第一王子の勾大兄皇子が立太子される(48歳)。
皇紀1191年=継体25年(531年)2月7日、継体天皇の崩御を受け、皇太子の勾大兄皇子が、66歳で即位される。
男大迹王を越前からお迎えするに当たって、大伴金村ら近臣とは、すでに勾大兄皇子と檜隈高田皇子の皇位継承についての了解があったものと考えられる。先帝・継体天皇崩御の日に即位しておられるので、勾大兄皇子の即位についても予め群臣たちの間でも了解されていたのである。
3月6日、第24代仁賢天皇(億計王)の皇女・春日山田皇女を皇后に立てられる。しかし皇子女の誕生はなかった。
また別に大臣・巨勢男人の娘の紗手媛(さてひめ)、紗手媛の妹・香香有媛(かかりひめ)、物部木蓮子(もののべのいたび)大連の娘・宅媛の3人を妃とされた。
継体天皇が即位されてから後に誕生された欽明天皇はすでに23歳で、即位も可能であったと思われるが、越前から父とともに出てこられた第一王の勾大兄皇子が66歳で即位された。
継体天皇が即位されてから皇子に恵まれるとは限らないので、越前から出てこられる時に、王子の即位についても話し合われたと思われる。
皇紀1194年=継体28年(534年)、安閑元年とする。勾大兄皇子(安閑天皇)が即位されて3年後を安閑元年とされている。先帝・継体天皇が即位された後に誕生され、すでに23歳になられた天国排開広庭命(あまくにおしはらきひろにわのみこと 欽明天皇)がおられるので、勾大兄皇子のご即位については紛糾したことが推定され、結論としては、越前から出てこられるときの約束事が優先されたと推察される。
この年1月、都を勾金橋宮(奈良県橿原市曲川町)に遷された。
皇紀1195年=安閑2年(535年)12月17日、金橋宮にて在位5年(4年10ヶ月)、70歳で崩御される。
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更新:10月09日 00:05