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孝安天皇(第6代)と孝霊天皇(第7代)

2019年03月18日 公開
2019年03月29日 更新

吉重丈夫

第7代・孝霊天皇
世系12、即位53歳、在位76年、宝算128歳

皇紀319年=孝安51年(前342年)、先帝・孝安天皇の第一皇子として誕生された大日本根子彦太瓊命(おおやまとねこひこふとにのみこと)であり、母は天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)の娘で、先帝・孝安天皇の姪の押媛である。

皇紀344年=孝安76年(前317年)春1月5日、第一皇子の大日本根子彦太瓊命が26歳で立太子される。

皇紀370年=孝安102年春1月9日、孝安天皇が崩御される。

この年12月4日、都が大和国黒田の廬戸宮(いほとのみや)に遷された。奈良県磯城郡田原本町黒田である。

皇紀371年=孝霊元年(前290年)1月12日、皇太子の大日本根子彦太瓊命が53歳で即位された。

先帝・孝安天皇の皇子・大日本根子彦太瓊命は、『古事記』には大倭根子日子賦斗邇命とあり、同母兄に大吉備諸進命の名がある。

従って第二皇子という可能性もあるが、皇位継承問題は起きていない。

皇紀372年=孝霊2年(前289年)2月11日、磯城県主(十市県主)大目(しきのあがたぬしおおめ)の娘・細媛命(くわしひめのみこと)を皇后に立てられる。

磯城氏は、「記紀」の「神武紀、神武東征伝」において、「兄磯城(えしき)」「弟磯城(おとしき)」として出てくる最初の古代豪族の一つである。孝霊天皇はこの豪族の娘を皇后に立てられた。

妃の倭国香媛(やまとくにかひめ)との間に、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと)が誕生され、また妃・絙某弟(はえいろど)との間に彦狭島命(ひこさしまのみこと)、稚武彦命(わかたけひこのみこと)が誕生される。

彦五十狭芹彦命は吉備上道臣の祖で、後の崇神天皇の御世に四道将軍の一人として活躍される。

稚武彦命は吉備臣、吉備下道臣・笠臣の祖である。

皇紀388年=孝霊18年(前273年)、皇后・細媛命との間に第一皇子の大日本根子彦国牽命(おおやまとねこひこくにくるのみこと、孝元天皇)が誕生される。

皇紀406年=孝霊36年(前255年)春1月1日、大日本根子彦国牽命(19歳)を皇太子に立てられる。

異母兄弟に彦五十狭芹彦命、稚武彦命がおられたが、大日本根子彦国牽命を皇太子とされた。生年がそれぞれ不詳のため兄か弟か分からないが、皇后の産んだ皇子を皇嗣とされたのであろう。

崩御の40年前に立太子しておられるので早くから決めておられたのである。

皇紀446年=孝霊76年(前215年)春2月8日、在位76年、128歳で崩御される。

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