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孝安天皇(第6代)と孝霊天皇(第7代)

2019年03月18日 公開
2019年03月29日 更新

吉重丈夫

孝安天皇 室秋津島宮阯碑
孝安天皇 室秋津島宮阯碑
(奈良県御所市)

天皇陛下の譲位と平成改元という節目の年に、歴代天皇の事績をふりかえりまます。今回は「孝安天皇」と「孝霊天皇」をお届けします。

※各天皇の年齢等については数え年で計算して記しています。
※即位年、在位年数などについては、先帝から譲位を受けられた日(受禅日)を基準としています。
※本稿は、吉重丈夫著『皇位継承事典』(PHPエディターズグループ)より、一部を抜粋編集したものです。

吉重丈夫著『皇位継承事典』
 

第6代・孝安天皇
世系11、即位36歳、在位102年、宝算137歳

皇紀234年=孝昭49年(前427年)、孝昭天皇の第二皇子として誕生された日本足彦国押人命で、母は先帝・孝昭天皇の皇后・世襲足媛である。

皇紀253年=孝昭68年(前408年)1月14日、先帝・孝昭天皇の第二皇子・日本足彦国押人命が20歳で立太子される。

第一皇子の天足彦国押人命を差し置いての立太子であった。

先帝・孝昭天皇の崩御される15年前の立太子であり、先帝の意思通りと考えられ、混乱はなかったようである。

尚、この第一皇子の天足彦国押人命は春日氏、小野氏、和邇(和珥)氏の祖である。

皇紀268年=孝昭83年(前393年)秋8月、父帝・孝昭天皇が崩御される。

皇紀269年=孝安元年(前392年)1月27日、皇太子の日本足彦国押人命36歳で即位され、大和国室秋津島宮(むろのあきつしまのみや、奈良県御所市)に都を置かれた。

同母兄を差し置いて即位された事情については不明であるが、さして争いはなかったと見てよい。

先帝・孝昭天皇は崩御される15年前に第二皇子・日本足彦国押人命を皇太子に立てておられるし、後にこの兄・天足彦国押人命の娘・押媛(姪)を孝安天皇の皇后に立てておられるからである。

天足彦国押人命は次の孝霊天皇の外祖父でもある。

皇紀270年=孝安2年(前391年)10月、大和国室秋津島宮(奈良県御所市)に宮を遷された。

皇紀296年=孝安28年(前365年)春2月14日、天皇は兄・天足彦国押人命の娘・押媛(姪)を皇后に立てられる。

皇紀319年=孝安51年(前342年)、第一皇子の大日本根子彦太瓊命(おおやまとねこひこふとにのみこと)が誕生される。

皇紀344年=孝安76年(前317年)春1月5日、大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)が26歳で立太子される。

皇紀370年=孝安102年(前291年)春1月9日、在位102年、137歳で崩御された。

在位102年は歴代天皇の中で最長である。

在位が102年と長いので、最初は兄の天足彦国押人命が即位され、その後に弟の日本足彦国押人命がこれを襲名されたということも考えられる。

他の在位の長い天皇についても、一応同じようなことが推定される。

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