横井小楠
「今日言ったことでも、明日になると、全然逆なことを言うかもしれない」
という小楠の思想は、普通の人間にはたしかに分かりにくい。人によっては、
「昨日言ったことと、全然逆なことを言うとはけしからん」
と怒った。政治にかかわりをもつ場合は特に影響が大きいから、昨日言ったことをまともに信じていた連中は、それが、がらりと変わってしまえば、まごまごするのは当たり前だ。そのため、
「横井小楠は、始終言うことが変わる。変節者だ」
という評判が立ち、遂に命まで狙われるようになった。
ある時、小楠は友達と酒を飲んでいた。その席へ、突然刺客が襲ってきた。狙いは小楠である。が、この時小楠は、刀をもっていなかった。斬り合いが始まると、彼は、
「ちょっとご免なさいよ」
と言って、その場から逃げ出そうとした。見咎めた友達と刺客が、
「おい、どこへ行く?」
ときいた。小楠は、
「刀を忘れたので取ってくる。それまで待っていてくれ」
と言いながらその場から脱走してしまった。しかし、彼は藩邸に行って、実際に刀を取ってきた。だが、戻った時は、友達は斬り殺され、刺客も去っていた。そのため、
「横井武士にあるまじき卑怯な振る舞いをした。士道不覚悟である」
と言われて、藩から罰せられた。こういう男であった。しかし、罰せられても、彼は平然としていて、殿様専用の池で魚を釣ったりしていた。
小楠は、熊本藩の人間だったが、熊本藩では彼をもてあました。朱子学の盛んな熊本藩では、小楠の唱えるような実学は嫌われた。そして、彼の人間性そのものも嫌われた。その小楠を見込んで招いたのが、越前の藩主松平春嶽であった。推薦したのは橋本左内であり、三岡八郎(由利公正)である。招かれた小楠は、越前藩政を建て直すのに、大いに役立った。彼の唱えた実質的な開国貿易は、藩の富を増大させた。しかし、小楠は毎日芸者や太鼓もちを相手に遊興を続け、人に会うのも、1日に1人か2人にしぼり、
「今日は、もう疲れたから人に会うのは嫌だ」
などと言っていた。
勝海舟の弟子坂本龍馬も、小楠には手を焼いたらしく、こんなことを言っている。
「先生は、2階に上がってゆっくり酒を飲みながら、政治劇を見物していて下さいよ。役者は我々だけで間に合いますから」
龍馬は、龍馬なりに小楠をもてあまし、2階に上げて、梯子をはずしてしまおうと思っていたのだろう。とにかく、ユニークな人物であった。普通の人が理解できなかったのは無理もない。
が、その小楠の本質を的確に見抜いていた勝は、
「日本で最も優秀な人物の一人だ」
と言い切った。というのは、小楠は勝と同じように、
「全方位に向けて自分を対応させる能力」
をもっていたからである。自然体である。流れに沿って、その流れに乗りながら、自己を確立していくという主体性が二人に共通することだ。
こういう全方位対応は、特に、管理化が進んでいる現在の高度なシステム社会には、最も必要である。古い価値観にしがみついて、ああだこうだというような層の言葉を、あまり気にしない方がいい。
更新:11月23日 00:05