2018年03月23日 公開
2023年10月04日 更新
旅の終わりに、源久が松浦の地に上陸した「ぎぎが浜」へ。源久が浜に降り立った際、「ぎぃぎぃ」と砂が泣いたことから、この名が付いたという。
ぎぎが浜に建つ、源久上陸の記念碑
砂浜を歩きながら、早田さんが海を指して言う。
「この海に、元軍の船が4400艘も。その多くは、いわゆる神風で海底に沈みました」
雲は低く立ち込め、雨がポツリポツリと降ってきた。嵐の予感を感じながら、急いで車へと乗り込んだ。
大和や京都、江戸・東京から見ると、確かに九州は西のはしにあたる。そのなかでも、松浦の地は、さらに西のはしだ。
ただ、東シナ海を中心に据えると、まったく違った世界が見えてくる。
松浦の地は、日本の入り口――。朝鮮半島から中国、台湾、沖縄諸島を股にかけて活躍した松浦水軍が、この地に確かに存在していた。
その意味で、主に国内をメインに活動していた村上水軍や九鬼水軍と比べて、松浦水軍のスケールはケタ違いに大きい。
そんな松浦水軍に想いを馳せながら、雨の中、福岡空港へと向かった。
更新:11月22日 00:05