2018年03月23日 公開
2023年10月04日 更新
鷹島を後にし、大小の島々が織りなす景色を味わいつつ、松浦党の本拠地だった山城、梶谷(かじや)城跡へ向かう。
松浦党といえば、現在の長崎県から佐賀県にかけて勢力を誇った水軍で、瀬戸内海の村上水軍、紀伊半島の九鬼水軍と並ぶ三大水軍の一つ。
平家が亡びた壇ノ浦の戦いでも、その去就が勝敗を決したとも言われ、元寇においても、最前線で多くの戦死者を出しながら奮戦している。
この梶谷城は、その松浦党の宗家・松浦氏の居城だったとされている。
梶谷城跡
当時の建物は何一つ残っていないが、山頂の本丸跡からの眺めは最高だ。
片や伊万里湾を望み、振り返ると晴れた日には玄界灘まで見渡せるという。水軍の本拠地ならではの眺めだ。
ところどころに残る石垣は、豊臣秀吉が朝鮮出兵にあたり、近世の城郭へと改修させたときのもの、とのこと。
次に向かったのは、松浦党の祖である源久(ひさし)が、この地にやってきた際に滞在した今福神社。
ここでは、宮司の早田(そうだ)伸次さんが出迎えてくれ、松浦党の歴史をレクチャーしていただけた。
今福神社
そして、ご好意に甘え、早田さんの案内の下、松浦宗家の菩提寺である宛陵寺(えんりょうじ)へ。
本堂の天井には、さまざまな絵が描かれている。ご住職の説明を聞く。
「大きい絵は十二支と、鶴、亀、孔雀、唐獅子、麒麟が描かれていて、小さい絵は植物です。供養のために描かれたんですね」
絵は幕末のものだが、種類も多く、色彩豊かな絵は見ていて飽きない。また、室町期からの古文書や家系図も、寺には残されている。
昭和になって現在の場所に移された宛陵寺は、元は近くの高台にあったという。早田さんの案内で、そこも訪ねてみる。
林の中に点在する、礎石と思われる石。その先、少し高くなったところに、松浦宗家のお墓が立ち並ぶ。
この地で亡くなった源久の墓碑をはじめ、19代から28代までの墓石が、静かに佇んでいる。
旧宛陵寺跡の、松浦宗家の墓
更新:11月24日 00:05