
ロシアには「アネクドート」の文化がある。社会や政治を揶揄するような、風刺を込めた小話のことだ。ソ連のスターリン時代にはどんなアネクドートが編まれたのか。2度のモスクワ滞在経験があるジャーナリストの名越健郎氏が解説する。
※本稿は、名越健郎著『ジョークで読み解く「ロシア近現代史」』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。
第二次世界大戦中、スターリンが同じ連合国のチャーチル英首相と電話で話していた。
「ニエット(ノー)、ニエット、ニエット、ダー(イエス)、ニエット、ニエット...」
電話の終了後、側近が尋ねた。
「スターリン閣下、なぜ一度だけ『ダー』と答えたのですか?」
「チャーチルが、声はよく聞こえるか尋ねたのだ」
注:ウィンストン・チャーチル(1874-1965)=英保守党政治家。首相としてナチス・ドイツとの戦争を指揮し、戦後体制構築に努めた。スターリンへの警戒感が強かった。
1941年秋、独ソ戦で苦境に立つスターリンはジューコフ将軍を執務室に呼び、作戦や戦術について厳しく叱責した。
ジューコフは顔を紅潮させ、「あの口ヒゲ野郎め」とののしりながら部屋を出た。
これを見ていた秘密警察長官のベリヤがスターリンに密告すると、ジューコフは再びスターリンの部屋に呼び戻された。
「口ヒゲ野郎とは誰のことなんだ。ジューコフ同志」
「誰って...もちろんヒトラーのことです」
「そうか。では、ベリヤは誰のことを念頭に置いていたんだ」
注:ゲオルギー・ジューコフ(1896-1974)=ソ連軍元帥。日本とのノモンハン事件を指揮して評価され、独ソ戦のほとんどの重要作戦に加わった。
第二次世界大戦末期、クリミア半島のヤルタで、米英ソの三巨頭首脳会談が行われた。
会談後、三首脳がクルマに同乗して晩餐会会場に向かっていると、道路の真ん中に牛が寝転び、動こうとしなかった。
チャーチル英首相が牛に「そこをどかないとひき殺すぞ」と脅したが、牛は動かなかった。
ルーズベルト米大統領が牛に「そこをどいたら100ドルやるぞ」と言っても牛は動かなかった。しかし、スターリン首相が牛に何かささやくと、牛は驚いて逃げ出した。
チャーチルとルーズベルトは驚いてスターリンに尋ねた。
「一体、なんと言ったのです」
「なあに、どかないとコルホーズへ入れるぞと言っただけです」
注:フランクリン・ルーズベルト(1882-1945)=米民主党の大統領。大恐慌後のニューディール政策を進めた。大戦を通じ、スターリンに甘く、ソ連に肩入れした。
注:コルホーズ=スターリンが1930年代初期、農業集団化のため推進した集団農場。ソホーズは国営農場。
スターリン時代の革命記念日──。
赤の広場のレーニン廟の上で軍事パレードを見守っていたスターリンは、あまりに寒いのでウオツカを持ってこさせ、ちびりちびり飲んでいた。
そこへ、ピオネール(共産主義少年団)の少年、少女が指導者に花束を渡しにひな壇に駆け上がってきた。
しかし、ある少年はスターリンのそばで怖さのあまり震えだし、ウオツカの瓶を割ってしまった。スターリンは激怒して言った。
「誰だ、お前は。名を名乗れ!」
「...」
少年が怯えて黙っていると、そばからピオネールの少女が言った。
「この子はスタブロポリのミーシャ(ミハイル)・ゴルバチョフです」
「や、やめてくれ、ラーヤ(ライサ)」
それ以来、少年はウオツカとスターリンが大嫌いになった。
注:ミハイル・ゴルバチョフ(1931-2022)=ソ連共産党書記長として改革政策に着手。ソ連最後の指導者となった。
注:ライサ・ゴルバチョワ(1932-1999)=ゴルバチョフ書記長と学生結婚したソ連のファーストレディー。
注:ピオネール=将来の共産党員への一歩とされ、およそ10歳から15歳の少年少女が参加した。15歳以上の組織はコムソモール(共産主義青年同盟)。
赤の広場のレーニン廟の上で軍事パレードを見守っていたスターリンは、あまりに寒いのでウオツカを持ってこさせ、ちびりちびり飲んでいた。
そこへ、ピオネールの少年、少女が指導者に花束を渡しにひな壇に駆け上がってきた。
しかし、ある少年はあまりに寒いので、スターリンのウオツカを飲んでしまった。スターリンは激怒して言った。
「誰だ、お前は。名を名乗れ!」
「...ボ、ボリス・エリツィンです」
注:ボリス・エリツィン(1931-2007)=ロシアの初代大統領。ソ連を崩壊させた立役者で、市場経済改革を進めた。アルコール依存症に苦しむ。
問=ペテルブルクやモスクワで料理人をしていたスピリドン・プーチン(プーチンの祖父)の罪は何か?
答=ラスプーチンやレーニン、スターリンを毒殺せず、ウラジーミル・プーチンの誕生に関与したことだ。
注:グリゴリー・ラスプーチン(1865ごろ-1916)=シベリア出身の僧侶で祈禱師。皇帝の長男の病気を祈禱で治すとされ、皇帝一家に影響力を行使した。
プーチン大統領が天国のスターリンに電話し、「どうしたら、この国をうまく治めることができますか?」と尋ねた。
スターリンが言った。
「第一に、閣僚を全員処刑すること。第二に、クレムリンの壁を緑に塗り替えることだ」
「どうして壁を緑にする必要があるのですか?」
「やはりわしの思った通りだ。第一の点に関して、われわれの間に意見の相違はなかった」
満員のバスで立っていた老婦人は、席が空いて座りながら、「神に感謝します」とつぶやいた。
これを見ていた共産党員が老婦人に言った。
「同志、ソ連は無神論の国だ。あなたは『同志スターリンに栄光あれ』と言わねばならない」
老婦人が反論した。
「では、同志スターリンが死んだら、私たちはどう言うの?」
「その時は、『神に感謝します』でいい」
1953年、独裁者スターリンがついに死んだ。側近のマレンコフ、ブルガーニン、フルシチョフ、ベリヤらは茫然とし、遺体の前で沈黙を続けていた。
やがて、誰かがポツリとつぶやいた。
「一体、誰がこのニュースをスターリン同志に知らせに行くんだ」
注:ゲオルギー・マレンコフ(1902-1988)=スターリンの死後、首相に就任したが、1957年失脚。
注:ニコライ・ブルガーニン(1895-1975)=国防相などを経てマレンコフの後任の首相に。1958年失脚。
更新:08月24日 00:05