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特別レポート.第2回蘭学サミット・蘭医学サロン「笠原良策 丸かじり・福井が生んだ医の巨人」

歴史街道編集部

トークセッションの様子。左から小泉堯史さん、 柳沢芙美子さん、海堂尊さん

写真:トークセッションの様子。左から小泉堯史さん、 柳沢芙美子さん、海堂尊さん

今年8月3日に、福井県県民ホールにて開催された「第2回蘭学サミット・蘭医学サロン」。映画監督や作家、研究者などさまざまな分野で活躍する人々が集まり、福井藩の町医者・笠原良策(かさはらりょうさく)の功績や人物像について語らった。大盛況を博した本イベントの一端を、誌面で紹介しよう。

 

何度でも観てほしい映画

近年、「蘭学」に注目が集まっている。日本が国交を制限していた江戸時代に、国外の情報を積極的に取り入れていた蘭学者たちの知識が、近代化に大きな影響を及ぼしたからだ。

福井県が主催する「蘭学サミット」は、そうした蘭学者や蘭学ゆかりの人物を顕彰するというもの。

昨年開催の第1回では、『解体新書』の著者である杉田玄白を取り上げ、イベントは大いに盛り上がった。

第2回となる今回は、「蘭医学サロン」と共催となり、福井藩の種痘事業を担った笠原良策をテーマに、さまざまな視点から語られた。

前半の第1部では、笠原良策を主人公とする映画『雪の花 ─ともに在りて─』が上映され、監督・小泉堯史さんと、笠原良策の研究をしている福井県文書館元副館長の柳沢芙美子さん、作家の海堂尊さんによるトークセッションが行なわれた。

黒澤明監督に師事し、その黒澤イズムを受け継ぐ小泉さんは、「映画の裏側を自ら明かすことはあまりせずに、あくまで映画を視聴した受け取り手の皆さんに解釈を委ねたい」としつつ、映画をつくるときの原動力については、「“こういう人に出会いたい”と思う人物を映画にする」と秘めた想いを語る。

海堂さんは、この作品を「美しい映画」と評価。柳沢さんは、「一度目は職業柄、分析的に見てしまうが、二度三度と重ねるごとに、見えなかったものが現われ、感動の形が変わっていく」とのこと。その言葉に、海堂さんは「ぜひ皆さん、DVDを買って何度でも観てください!」と観客に宣伝し、会場は笑いに包まれた。

 

笠原良策を深掘りする

シンポジウムより。左から阿部真由美さん、海堂さん、山村修さん、長野栄俊さん、角鹿尚計さん

写真︰シンポジウムより。左から阿部真由美さん、海堂さん、山村修さん、長野栄俊さん、角鹿尚計さん

 

休憩をはさみ、第2部が始まると、初めに海堂さんが、「蘭医学サロン」ができた経緯を語り始める。

海堂さんが蘭学について調べたきっかけは、蘭方医・緒方洪庵と佐藤泰然が主人公の小説『蘭医繚乱 洪庵と泰然』の執筆だったという。

「取材した研究者の話はとても面白いのに、物語にはその5パーセントも入れられない。それでは勿体ない。蘭学がいかに面白く、素晴らしい先人がいるのか、知ってほしくて、蘭医学サロンを起ち上げたんです」と熱弁した。

続いて、福井県文書館主任の長野栄俊さんが登壇し、「笠原良策の生き方 ─藩医と町医・村医の狭間で─」と題して講演。一次史料を読み解きつつ、藩医と町医・村医の身分の違いや、良策と父の関係について解説し、良策がなぜ種痘事業を担うことができたのか、その背景に迫った。

次に、福井大学医学部地域医療推進講座教授の山村修さんが、「笠原良策の医学力 チーム種痘を作り上げた苦難の航跡」というテーマで講じる。医学的観点から、種痘の技術面や、痘苗を入手しても植え継がなければならない種痘事業の難しさについて発表した。

講演後は、「笠原良策、徹底解剖 ─福井藩という環境から医学的業績まで」というテーマでシンポジウムへ。海堂さん、阿部真由美アナウンサーが進行役をつとめ、山村さん、長野さんに、福井県立大学客員教授の角鹿尚計さんも加わり、賑やかなトークが展開された。

最初に、笠原良策と親交が厚かった橘曙覧(たちばなのあけみ)について、研究者の角鹿さんが解説。曙覧と良策は同じ師から国学を学んでおり、「良策は曙覧に和歌を添削してもらう代わりに、治療費を求めないというような仲。そういう互いの得意分野を活かした交流をしていた」と二人の関係性を明かした。

続いて、笠原良策が建てた仮除痘館(かりじょとうかん)がどこにあったのか、という話題へ。

「明治14年(1881)の古地図には、九十九橋(つくもばし)付近に『笠原』の名前が見え、ここが仮除痘館だったのかというと、柳沢先生や長野先生曰く、違うそうで……」と山村さん。

それを受けて、「この地区は福井藩が管理していた武士の居住地なので、町人が住めるところではないんです」と長野さん。さらに、良策の手紙によると、浜町にあった仮の診療所は火事で焼けてしまい、御茶園というところに居候していたという。

数々の資料を読み解いた結果、仮除痘館があった場所については、徐々に見えつつあるそうだ。研究者ならではの推察に、観客も興味深く耳を傾け、シンポジウムは終演。

最後に、第3回蘭医学サロンの開催地である津山洋学資料館の館長・小島徹さんが登壇。「来年はぜひ津山にお越しください」と挨拶して締めくくった。

映画から最新研究まで、おいしさ満載のイベントとなった第2回蘭学サミット・蘭医学サロン。主題のごとく、観客は笠原良策を「丸かじり」できたのではないだろうか。

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