2025年04月23日 公開
大河ドラマ「べらぼう」で注目される杉田玄白。ゆかりの地である福井県小浜市を、玄白役の山中聡さんが訪れ、その足跡を辿りました。
大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK総合 夜8時)で杉田玄白(すぎたげんぱく)の役を演じる山中聡さん(53)が福井県小浜市を訪れた。小浜は鯖街道(さばかいどう)の起点として有名。かつてバラク・オバマ氏を大統領選で同名のよしみで応援して話題になったこともある。玄白と小浜のゆかりは、玄白が小浜藩の藩医であった杉田玄甫(すぎたげんぽ)の息子として江戸牛込矢来の小浜藩邸で生まれたことによる。つまり、父の実家ということになる。
小浜藩酒井家の祖である酒井忠利(さかいただとし・初代川越藩主)は、三河以来、徳川家康に仕えた門閥譜代大名である。忠利の子忠勝(ただかつ)は、元和6年(1620)、徳川家光の小姓となり、家光・家綱時代に老中・大老を歴任。寛永4年(1627)には、川越藩を引き継ぎ、寛永11年(1634)年、若狭小浜へ移り12万3500石を領した(初代小浜藩主)。
譜代大名である酒井家の歴代藩主の多くが老中や大老といった幕府の要職についており、在任期間の大半、在府を余儀なくされた多忙な藩主でもあった。
医家としての杉田家が小浜藩と関わりを持つのは、玄白の祖父である初代杉田甫仙(すぎたほせん)が元禄16年(1703)に5代目藩主・酒井忠囿(さかいただぞの)に藩医として仕えたことに始まる。元文5年(1740)、玄白は8歳のとき、父・玄甫の転勤によって小浜へ移り住み、5年間を小浜で過ごした。父の下で医業を見習い、教導を受けつつ青年期を送った。
小浜城は、関ヶ原合戦後、慶長6年(1601)、京極高次が築城にとりかかり、京極氏が松江に転出後、酒井忠勝が小浜城主となって天守閣の造立に着手。寛永13年(1636)に完成した。以来、酒井家14代、238年間の居城となる。明治4年(1871)の廃藩置県に際して城内に小浜県庁が設置されたが二の丸櫓から出火して大部分を焼失し、今は城郭の石垣を残すのみとなっている。
取材当日は低気圧接近により、あいにくの雨模様となったが、前日入りして小浜湾沿いを散策した山中さんの小浜の第一印象は、「おだやかな海」と「やさしい人たち」だったという。貴賤を問わず多くの病人を救った玄白にも小浜スピリットが流れていたに違いない。
小浜西組は、京極高次が小浜城築城の際、町人地を東・西・中の3組に分けたまちづくりを進めたことに由来する。西組地区は、門前町、商家町、茶屋町、山麓の寺社で構成されており、中世の街路や地割りをいまに留めている。平成20年(2008)に小浜市小浜西組伝統的建造物群保存地区(約19ha)が国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
中世の街並みが残る小浜西組を歩きながら「古いものを捨てるのは簡単ですが、維持するというのは本当に大変だと思います。それを誠実に残してこられた小浜の方々はすごいですね」と語る山中さんは大のクラシックカー好き。
石照山・多田寺(せきしょうざん・ただじ)は、小浜市多田にある高野山真言宗の寺院である。薬師如来が安置されており、病から多くの人々を救い、その霊験は孝謙天皇にまで伝わった。重い眼病を患っていた孝謙天皇が多田寺を訪れ、眼病平癒を願ったところ快癒したことから、孝謙天皇は、山林と田畑を寄進し、「石照山」の山号と「医王閣」の勅額を賜わった。
多田寺の玉川泰圓(たまがわたいえん)住職に本堂を案内していただいた山中さん。眼病平癒の寺と聞いて「私の老眼は治るでしょうか」と質問すると「それは無理ですね。」と無慈悲に即答されて苦笑した。
学芸員の説明を受けて「大河の撮影が終わってしまいましたが、もう一回、やらせていただけるなら芝居が変わったかもしれませんね」とあらためて玄白の功績に思いを馳せた。最後のおまけに「小浜の海の幸もお忘れなく!」(山中さん)
日本史の授業では玄白の最大の功績は『解体新書』の翻訳であると教わるが、じつは『解体新書』はゴールではなくスタートラインであることは意外と知られていない。
『解体新書』を発刊後、玄白は安永5年(1776)、日本橋浜町に外科医を開業した。同時に医学塾「天真楼(てんしんろう)」を開いた。玄白は、開業医として40~60歳の働きざかりに、蘭学の後継者を育成し、『解体新書』によって得た知見を現場で応用しながら着々と治療実績を上げていった。
玄白にとって『解体新書』の翻訳はそれ自体が目的ではなく、臨床現場での手段であったのである。その証拠に彼は、『解体新書』の翻訳を進めながら、ラウレンス・ハイステル(ドイツの解剖学者)の『外科集成』の翻訳にも着手している。新しい医学知見に対する貪欲な好奇心や医者としての玄白の使命感をうかがわせるエピソードである。
福井県立若狭歴史博物館には、『世界及日本図屏風』をはじめ『ターヘル・アナトミア』『解体新書』などが常設展示されており、その他、若狭地方の仏像や祭り、芸能などの文化遺産、それらを育んだ若狭歴史を豊富な資料でわかりやすく紹介されている。
今回、山中さんは、初めて小浜を訪れて、当初、考えていた以上に、杉田玄白という人物の思慮深さやスケールの大きさに驚いた様子であった。
更新:04月24日 00:05