歴史街道 » #徳永和喜の記事一覧

#徳永和喜の記事一覧

島津斉彬による「ペリー来航への対処策」 幕府提出前に原文から削除していた本音

新名一仁(宮崎市史編さん室専門員), 徳永和喜(鹿児島市立西郷南洲顕彰館館長)

島津斉彬による「ペリー来航への対処策」 幕府提出前に原文から削除していた本音

新名一仁(宮崎市史編さん室専門員), 徳永和喜(鹿児島市立西郷南洲顕彰館館長)

ペリー来航に際し、薩摩藩主・島津斉彬は幕府に海防強化の必要性を訴えた。幕末の危機を、単なる領国間の問題ではなく、国家全体の存亡に関わる問題として捉え、積極的な国防体制の構築を提唱していたのだ。斉彬の国家論につ...

島津重豪の治世で「莫大な借金を抱えた薩摩藩」を救った調所広郷の手腕

新名一仁(宮崎市史編さん室専門員), 徳永和喜(鹿児島市立西郷南洲顕彰館館長)

島津重豪の治世で「莫大な借金を抱えた薩摩藩」を救った調所広郷の手腕

新名一仁(宮崎市史編さん室専門員), 徳永和喜(鹿児島市立西郷南洲顕彰館館長)

↑藩の学校・造士館跡 島津重豪は、将軍家との婚姻関係で薩摩藩の権威を高めた一方、交際費用などにより藩の借財も膨れ上がらさせてしまった。財政難を脱するため、重豪は調所広郷を改革主任に任命。調所は大胆な改革...

龍造寺隆信を破り、島津一強になるも...一族が苦しんだ「筑後支配をめぐる矛盾」

新名一仁(宮崎市史編さん室専門員), 徳永和喜(鹿児島市立西郷南洲顕彰館館長)

龍造寺隆信を破り、島津一強になるも...一族が苦しんだ「筑後支配をめぐる矛盾」

新名一仁(宮崎市史編さん室専門員), 徳永和喜(鹿児島市立西郷南洲顕彰館館長)

↑伊作城本丸(亀丸城)跡碑。島津義久・義弘も この地で生まれたという。 島津氏の肥後進出は、九州統一への大きな一歩となった。豊薩和平を成立させ、龍造寺氏を打ち破り、島津氏の勢いはますます拡大していく。そ...

  • 1