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最後まで負けを認められなかった日本軍...「マリアナ沖海戦」大敗の3つの理由

2021年08月09日 公開
2023年02月22日 更新

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

 

日本軍の敗因は「近視眼的だった」ことにある

なぜ、マリアナ沖海戦で日本は負けたのか。最大の敗因は、アウトレンジ戦法にある。

アウトレンジ戦法とは、航続力の大きな飛行機を使って、敵の攻撃範囲の外側から先制攻撃をしかけることにより、味方部隊が損害を被らずに有利な戦闘を行なうというものだ。

それは「長い刀が短い刀より有利」との発想に通じるが、飛行機は刀とは違う。

アメリカの飛行機よりも二倍の距離を飛べるとしても、長距離を飛んだ搭乗員はくたびれ果て、敵の空母から上がったばかりの、鋭気に満ちた戦闘機搭乗員とぶつかることになる。真珠湾攻撃やミッドウェー海戦の頃より力が劣る搭乗員に、この困難な作戦を要求したのには無理があった。

誰がこのような戦法を考えたのかははっきりとしないが、小沢治三郎が責任者として選んだことは間違いない。彼の性格からして積極的に選択したとは思えないが、その決断には、日本の国力の低さが影響している。

アメリカはいくら損害を出しても補充ができるため、勝つまでやれる。ところが、日本はなかなか補充ができない。そこで、味方の被害を抑えつつ戦うにはこの戦法しかないと、小沢治三郎は考えたのではなかろうか。

敗因の第二は、日本が攻撃に力を入れすぎたことだろう。

ミッドウェー海戦の後、防空が弱かったという戦訓を取り入れ、それまでは空母二隻だった戦隊を三隻で編成した。基本的には、一隻を戦闘機搭載専門にして、他の二隻の飛行機が敵を攻撃している間、残り一隻の戦闘機が攻撃隊と空母を直掩(ちょくえん)して守るのである。

そうした意識の変革はあったものの、もう一つ、重要なミッドウェーの戦訓が取り入れられていなかった。それは「偵察」である。

相手を完全に把握しなければ、戦闘は成り立たない。保有する飛行機の半分を偵察にあてて敵の動きを確実に摑み、残りの半分で攻撃するぐらいでもいい。

しかし空母では、偵察用に多数の飛行機を使うことを嫌い、ほとんどは周りの軍艦の水上機に任せていた。だが、偵察を終えた水上機を収容するには艦を停止しなければならず、戦地では収容ができない場合もある。そのために、偵察後には陸上基地に行くように命令される例も多かった。

偵察を軽視するのは日本の悪いところだが、それは攻撃に重きを置きすぎるからである。

第三の敗因として、潜水艦に対する危機意識が低かったことが挙げられる。

飛行機を発進させるために空母が全力で直進している際、潜水艦に狙われようものならよけられない。そのときこそ、乗組員は全員、海を見て、潜水艦を警戒する必要がある。

ところが日本海軍は、空母から攻撃隊が出るとき、総員で見送り位置につき、飛行機に向かって手を振る習慣があった。

アメリカの潜水艦用魚雷は射程距離が短く、4000メートルから8000メートルくらいだ。しかし実戦ではアメリカ潜水艦は、時として1000メートル以下まで接近して魚雷を撃つため、真剣に海を監視していれば発見できる可能性は十分にある。

また、魚雷の回避運動ができない発着艦の際には、空母の両側に駆逐艦を置いて警戒させるという戦術があっていいはずだが、それも十分にはなかった。

こうした対潜警戒の欠落が潜水艦の接近を許し、至近距離で魚雷を撃たれて、大鳳、翔鶴が沈められる事態を招いたのである。

 

戦争の悲劇を大きくしたもの

マリアナ沖海戦の結果、アメリカ軍は日本の妨害をほぼ受けることなく、オーストラリアとの間で戦力の移動が可能になり、サイパンから日本本土を空襲できるようになった。

一方、日本は南方からの物資移動が破綻に瀕し、航空兵力の大半を失ったことで、軍事的に挽回するチャンスがなくなった。何よりもサイパンの陥落は、絶対国防圏が崩れたことを如実に示している。

つまりマリアナ沖海戦によって、事実上、日米戦争の決着がついたといっても過言ではないのである。

陸軍は本当の決戦をやっていないし、まだソ連の進攻もないため、マリアナ沖海戦の時点ではおさまらなかったかもしれないが、それをおさめなければ指導者ではない。「下がいうことを聞かないから」で済ませるのだったら、指導者はいらないのである。

太平洋戦争の損害の過半は、マリアナ沖海戦以降に生じている。ここで戦争をやめていれば、特攻も原爆投下もなかった。日本の政府と軍部に負けを認める勇気がなかったことは、戦争の悲劇を大きくしたといっていい。

マリアナ沖海戦の敗因と同時に、敗れた後の対応も、問われるべきなのである。

 

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