2020年11月21日 公開
2023年10月04日 更新
およそ10年のあいだ越前の朝倉家に身を寄せるも、織田信長が朝倉義景を攻める際は、織田軍の一人として活躍した明智光秀。
越前国での雌伏の時を経て、日の出の勢いの織田家の一部将へと駆け上がった光秀ゆかりの地を、時系列に沿って紹介しよう。
朝倉氏五代が約100年にわたって治めた越前国。一乗谷はその拠点であり、明智光秀もおよそ10年間、越前に滞在した。
城下町跡からは武家屋敷や寺院、町屋、道路などが発掘されており、国の特別史跡にも指定されている。出土品が展示されている資料館では、朝倉氏の歴史についても学ぶことができる。
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館
福井県福井市安波賀町4-10 TEL:0776-41-2301
明智光秀は朝倉攻めにあたり、まず若狭国の熊川に入り、現地の状況を調べたという。
江戸時代には宿場として栄えた熊川は、重要伝統的建造物群保存地区にも選定され、現在も昔ながらの町並みを楽しむことができる。今年は、光秀が熊川に入って450年の節目の年。
宿場館では「明智光秀 熊川来訪450年記念」として、光秀が盟友・細川藤孝らに熊川から送った書状など、ゆかりの品を展示している。
若狭鯖街道熊川宿資料館 宿場館
福井県三方上中郡若狭町熊川30−4−2 TEL:0770-62-0330
国吉城は、若狭武田氏の重臣・粟屋勝久が築いた山城。明智光秀らは越前進攻の拠点として、国吉城に入ったとされている。現在、国吉城麓の歴史資料館で来年の1月11日(月・祝)まで、企画展「本能寺の変と越前・若狭〜光秀の謀反がもたらしたもの〜」を開催中だ。
「戦国福井と明智光秀」企画展の第2弾で、明智光秀が起こした「本能寺の変」が、当時の越前、若狭、そして国吉城にもたらした影響を紐解いている。
若狭国吉城歴史資料館
福井県三方郡美浜町佐柿25-2 TEL:0770-32-0050
敦賀湾を一望できる山城。南北朝時代には恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った地であり、麓の金崎宮には両親王が祀られている。
金ヶ崎城を落とした後、浅井長政の裏切りにあった織田信長が撤退する際、木下秀吉や明智光秀はこの城に残り、殿軍として活躍した。現在、城跡には城址の石標、そして古戦場碑などがある。
金ヶ崎城跡
福井県敦賀市金ケ崎町1-4 TEL: 0770-22-0938(金崎宮社務所)
更新:12月10日 00:05