2020年10月13日 公開
2022年11月16日 更新
桶狭間古戦場公園の織田信長像(撮影:近戸秀夫)
《信長とその妻・帰蝶が、大河ドラマ『麒麟がくる』によって話題になっている。そんな二人の在りし日の姿を想起させる場所が、名古屋市内には数多く残されている。二人の歩みとともに紹介しよう》
桶狭間の戦いに至るまで、織田信長はどこで、何をしていたのか?
日本一有名な戦国大名と言っても過言ではない信長ながら、そう問われると、意外とご存じない方も多いのではないか。
また、大河ドラマ『麒麟がくる』で注目されている妻・帰蝶についても、史料が少ないこともあり、実像については判然としない。
そんな信長夫妻をもっと知りたい、実際に関連地を訪ねてみたいという方のために、名古屋市内の史跡とともに、若き日の二人の姿を探ってみたい。
名古屋といえば名古屋城だが、実はこの城は、信長とも深いかかわりがある。
天文3年(1534)、信長は、尾張守護代織田大和守家の奉行を務める織田信秀の子として生まれたが、その場所こそ、当時、那古野城と称された地とする説があるのだ。
城は名古屋城の二之丸付近に存在したことから、二之丸に「那古野城跡石碑」が建つ。
それだけではない。那古野城は、信長が初めて城主を務めた城でもある。
天文15年(1546)ごろ、信秀が古渡城に移り、信長は那古野城主になったとみられる。時に13歳。この若さでの城主就任は、信秀の期待の表われにちがいない。
那古野城跡へは市営地下鉄・市役所駅から徒歩5分ほどで、名古屋城見学を兼ねて訪ねるといいだろう。
では、若き日の信長はどんなことをしていたのか。名古屋市内には、その面影を感じさせる場所が二つある。
蛇池公園(名古屋市西区)
そのひとつは、蛇池公園だ。いつごろの出来事かはわからないが、この池に大蛇が出たという話を聞いた信長は、大蛇を探そうと、家臣や農民を集めて池の水をかい出し、さらには自らも池に入って見つけようとしたという。結局、大蛇は発見されなかったものの、好奇心旺盛な信長の姿が思い浮かぶ。
蛇池公園へは、名古屋市バス・蛇池神社前で降りて徒歩6分ほどだ。
信長が家来を引き連れて訪れていたという庄内川の河原(名古屋市西区)
もうひとつは、庄内川の河原だ。信長は家来を引き連れてこの川で泳いだり、河原で竹槍の訓練をしたという。信長は精強な馬廻りを率いて尾張を統一していったというが、こうした河原での交流が、主従の絆を強めたのかもしれない。
碑などはないが、庄内川は名古屋鉄道・東枇杷島駅から歩いて5分ほどで望むことができる。
更新:11月22日 00:05