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信長を追い詰めた“戦国の雄”朝倉五代と一乗谷の真実

2020年06月17日 公開
2022年08月01日 更新

吉川永青(作家)

 

「天下に朝倉あり」一乗谷に文化を花開かせ 

朝倉義景が居住していた一乗谷の朝倉館跡(写真:近戸秀夫)
朝倉義景が居住していた一乗谷の朝倉館跡(写真:近戸秀夫)

家督を継いだ氏景は、斯波・甲斐・二宮に対抗すべく、仏教勢力・平泉寺と結んだ。加えて、応仁の乱で袂を分かった斯波義廉の子に足利一門の鞍谷氏を継がせ、鞍谷公方・足利義俊を立てる。これで「越前は鞍谷公方の領国」という形式を作り、斯波氏が守護に復帰する道を断った。傀儡の主君を戴いて実効支配を目論む謀略は、父と同じ手管である。

この強引なやり口には、幕府も難色を示した。だが朝倉には既に幕府側も無視できない兵力があり、これを背景に鞍谷公方は既成事実化される。氏景は父が得た国主の位を鞍谷公方に渡し、越前支配の大義名分と交換したのだった。

父譲りの謀才を持ちながら、氏景は短命だった。家督を取って5年後、文明18年(1486)7月に38歳の生涯を閉じる。当主を継いだのは14歳の嫡子・貞景であった。

貞景は当初、若年を侮られて家臣の専横を許した。しかし長じて後は、次々に降り掛かる災難を良く捌き、全盛期の礎を築いた。

家督相続の翌年、斯波氏から守護職復旧の訴訟が起こされると、貞景は──と言うより家臣が幕府に働きかけ、朝倉氏を将軍直臣と認めさせて越前支配の正当性を確保した。

こうした家臣の運動は、自らの既得権益を守るためでしかない。だが将軍直臣の立場は、家臣から貞景を守る盾となった。室町幕府将軍は御料所が少なく、従って兵力にも乏しいが、権威は特級品である。その直臣と認められた貞景に、しかも1万から1万2千の兵力を持つ朝倉に、家臣たちは逆らえなくなった。

貞景が21の明応2年(1493)4月、管領・細川政元がクーデターを起こし、十代将軍・足利義稙を廃した。この「明応の政変」で、貞景は細川に味方する。だが同年7月、義稙が越中へ下向して越中公方を称すると、いち早く恭順した。各地の分国で足利一門が重んじられるのは、父・氏景が鞍谷公方を捏造した謀略からも明らかである。隣国・越中を敵に回さないための変節であった。

ところが翌明応3年(1494)10月、義稙が上洛の兵を挙げると、それに乗じて加賀一向一揆が越前に攻め込んできた。上洛の道を拓くという名目である。これにはかつての敵・甲斐氏も与していた。

貞景はこの侵攻を退けたが、それは一向宗との間に対立の種を蒔く契機でもあった。とは言え、致し方ない成り行きである。領国を攻められたら、守るのが国主の役目だからだ。 以後、貞景の立ち回りは興味深い。

明応の政変で十一代将軍となった足利義澄は、やがて傀儡の立場を嫌って管領・細川政元と対立する。政元は越中公方・義稙の復位を望むようになった。これを知るや、義稙は一乗谷に動座して上洛の機会を窺う。

貞景は義稙を歓待しつつ、上洛支援は徹底して断り続けた。これは朝倉最後の当主・義景が、足利義昭に支援を求められた時と同じである。この行動こそ、貞景や義景が状況判断に優れていた証だと、筆者は考える。

貞景が兵を出せば、義稙の上洛は成るかも知れない。その暁には「将軍護持の功臣」として権勢を手中にできるだろう。しかし朝倉は一向一揆や甲斐氏に背を脅かされている。兵を出すなど論外であった。名声も権勢も、力の土台となる領国があってこそなのだ。

結局、義稙は痺れを切らして上洛に踏み切る。しかし近江・六角氏の軍勢に敗北し、周防国の大内氏を頼るに至った。義稙の復位を望んでいた細川政元、およびその盟友・本願寺── 一向宗は、朝倉を敵視するに至った。
そして永正3年(1506)7月、加賀・越中・能登の一向一揆が越前に侵攻する。しかし貞景は朝倉宗滴を大将に立てて撃退し、逆に越前の支配を揺るぎないものとした。

貞景の後は宗淳孝景が継いだ。この宗淳も、曽祖父の英林と同じく法名である。

朝倉氏の支配が確立した越前を受け継ぐと、宗淳孝景は一族の元勲・朝倉宗滴の補佐を受けつつ、混乱の多かった加賀・美濃・近江・若狭に出兵を重ねた。朝倉氏の軍事的・政治的影響力は周辺諸国にも及ぶようになる。

この頃になると、京では幾度となく将軍と管領の争いが起こった。宗淳はそのたびに諸々の対処を迫られたが、これが都人に「天下に朝倉あり」を印象付けていく。そして各方面の権威と言える人物が、混乱する京を逃れて朝倉を頼るようになった。

宗淳はこれらを受け容れ、京をも凌ぐ文化を一乗谷に花開かせた。安定した領国経営と周辺にまで及ぶ威勢、そこに都の権威と先進の文化を加え、朝倉は朝廷や幕府への影響力を強めてゆく。宗淳は越前支配という父祖の遺産を昇華し、朝倉氏の全盛期を築き上げた。

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