2020年01月27日 公開
2020年02月04日 更新
予備校の人気世界史講師である神野正史氏は、世界史を「暗記」しようとしては、かえって覚えられないと主張する。
固有名詞や年号を無理に覚えようとせず、また各国の歴史をばらばらに勉強するのではなく、「歴史の流れ」を理解することを目指す学習法で、学生によっては1年間で偏差値を20~30上げることができるという。
ここでは、神野氏の新著『暗記がいらない世界史の教科書』より、ローマ帝国と漢帝国の衰退の関係について触れた一節を紹介する。
※本稿は神野正史著『暗記がいらない世界史の教科書』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです
近世以前の世界史は、温暖化あるいは寒冷化によって、世界中が一つの「流れ」に従っていました。この世界全体が従う「流れ」をつかむことで、「世界史が見えるという感覚を得ることができます。
その一例として、最寒期が世界をおそった「17世紀の危機」について述べることにしましょう。
中世末(1350年ごろ)から始まった「小氷期」はそれ以前の旧制度をのきなみ破壊し、その対応策としてヨーロッパ諸国は絶対主義に走り、前時代までにぞくぞくとこれを確立していきました。
そこに、1600~50年ごろにさらなる厳しい冷え込みが襲いかかったことで、各地で凶作が続き、慢性的な食糧不足から戦乱・疫病・革命が相次ぐようになり、「17世紀の危機」と呼ばれる暗い時代が生み落とされます。
各国は事態打開のための対応に迫られますが、その対応の取り方によって各国の歴史は大きく変わっていくことになります。
近世の開幕とともにどこよりも早く絶対主義を確立し、「大航海時代」を切り拓いて、"スペインの領海に日没なし"と謳うたわれたスペインは、前時代の末(1581年)にはポルトガルを併呑するまでになりましたが、殺戮と掠奪に支えられた繁栄は長く続かず、この最寒期を契機として、衰微の一途をたどり、現在に至るまで歴史の表舞台に立つことはなくなります
ドイツでは、前の時代に起きた宗教騒乱の問題解決を「アウグスブルクの宗教和議(1555年)」で先送りした、その"ツケ"を"最寒期"の到来とともに高い利子を付けて支払わされることになります。
目の前の問題から目を背けた結果、くすぶりつづけた不満は時とともに帝国に蔓延していったため、1618年にプラハで起こった小さな事件がみるみる大事になり、帝国全土を巻き込む大乱に発展していったのです。
それどころか、"最寒期"の到来を前にして事態の打開を模索していた周辺諸国がここぞとばかりドイツに軍事介入してきたため、全欧を巻き込んだ大戦争に発展してしまいます。
それが「三十年戦争」です。
この戦争で「ドイツの近代化は100年遅れた」と言われるほど国土は荒廃し、人口は一気に1/3にまで落ち込み、1648年、ようやく条約(ウェストファリア条約)が締結されたものの、ドイツ(神聖ローマ帝国)は実質的に滅亡して名目だけの存在となり、分断国家は決定的となります。
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更新:11月22日 00:05