2019年07月03日 公開
2022年01月21日 更新
この年GHQは新年早々、軍国主義をリードし、その体制を支えた組織や団体、個人の公職追放令(第1次)を出した。その結果、著名な政財界人や官僚、高級職業軍人、憲兵や特高警察官といった戦前の支配層が国の中枢から追われた。
そうした中で行われた戦後初の総選挙は、復員軍人に加えて女性に参政権が与えられ、選挙権年齢も25歳から20歳に下げられたこともあって、まさに混戦だった。有権者は1500万人弱から3700万人弱へと一挙に倍増し、定員466名に対して立候補者は2770人、うち新人が2624人、女性候補も79人、政党数は363を数えた。そしてこの選挙で、日本の憲政史上初の女性議員が39人誕生した。
(日本で初めて衆議院議員となった39名の婦人議員は、国会内に「婦人議員クラブ」を組織した。その初めての会合が総選挙後の4月25日に開かれた。立って挨拶をしているのは加藤シヅエ女史)
その一方で、人々は生活に苦しんでいた。当時、大都市では主食はもちろん野菜や魚介類もほとんどが配給制度となっていたが、1946年当時、一人当たりのカロリー摂取率は戦前の約50パーセント以下にまで落ち込んでいた。一日茶碗一杯のご飯と、わずかな惣菜が口に入るという程度であった。
GHQの民主化路線で労働組合の結成が奨励されたことや、表現の自由という権利を手にした国民は、食糧不足に対する不満を叫び、抜本的な政策の転換を訴えた。その象徴的な出来事が5月1日の10年ぶりのメーデーや同19日の食糧メーデーだった。連日のように「米よこせ」のプラカードを掲げたデモ隊が国会議事堂周辺を練り歩き、首相官邸前への座り込みを続けた。
ついにマッカーサー総司令官は「暴民デモ許さず」との警告を発する事態となった。
腹をすかせた国民大衆のエネルギーが高揚し、ときには爆発する中で、新陣容となった衆議院では憲法改正案の審議が重ねられ、11月3日に新憲法が公布された。それが天皇主権に代わる国民主権(主権在民)、基本的人権の確立(自由主義)、戦争放棄(平和主義)などを大きな柱とする現在の憲法である。
(1947年5月3日、皇居前広場で開催された憲法普及会主催の日本国憲法施行記念式典に出席された昭和天皇は、雨の中を参集した数千人の国民の歓迎に帽子を取って応えられた)
平塚柾緒(ひらつか まさお)
1937年、茨城県生まれ。出版社勤務後、独立して取材・執筆グループ「太平洋戦争研究会」を主宰し、数多くの元軍人らに取材を続けてきた。著書に『東京裁判の全貌』『二・二六事件』(以上、河出文庫)、『図説 東京裁判』(河出書房新社)、『見捨てられた戦場』(歴史新書)、『写真で見る「トラ・トラ・トラ」 男たちの真珠湾攻撃』『太平洋戦争裏面史 日米諜報戦』『八月十五日の真実』(以上、ビジネス社)、『玉砕の島々』(洋泉社)、『写真で見るペリリューの戦い』(山川出版社)、『玉砕の島 ペリリュー』(PHPエディターズ・グループ)など多数。原案協力として『ペリリュー ─楽園のゲルニカ─』(武田一義著・白泉社)がある。
更新:11月22日 00:05