天皇と日本政府を代表して降伏文書に署名する重光葵外務大臣。右は加瀬俊一随員(内閣情報局第3部長)。
先の大戦に敗れた日本は、初めて「連合国」という名の外国の軍事力によって6年8カ月ものあいだ占領され、統治される経験を強いられた。
この占領期に関する記録や出版物は膨大な数に上っているが、写真を中心とした“目で見る占領史”は必ずしも多くはない。
当時、まだ時の状況を写真や映像に記録しておくだけの態勢が整っていなかったからでもあろう。
だが今日、「占領期」という時間が、いよいよ「歴史」となり、研究の対象として当たり前のものとなった。
今後、さまざまな新事実が究明されていくであろう、その時のために、現在の視野をビジュアルで示しておこうと刊行されたのが『写真でわかる事典 日本占領史』(平塚柾緒著、PHPエディターズグループ刊)である。
※本稿は、同書の一部を抜粋、編集したものです。
1945年9月2日朝、東京湾に浮かぶ米戦艦「ミズーリ」の甲板で、日本降伏の調印式が行われた。
午前8時過ぎ、厚い雲におおわれた湾上を、マッカーサー一行は駆逐艦「ニコルズ」に乗り、重光葵外相を首席代表とする日本代表団11名は駆逐艦「ランズダウン」に乗って、それぞれ「ミズーリ」にやってきた。
調印式はマッカーサーの格調高い演説で始まり、降伏文書への署名は日本国代表の重光外相から行われた。
午前9時4分だった。これで日本と連合国との戦争は正式に終わった。続いて日本軍を代表して参謀総長の梅津美治郎大将が署名し、連合国軍最高司令官としてマッカーサー元帥、米国を代表してニミッツ元帥が署名し、次いで連合国軍の各国代表が次々と署名した。
いつの間にか雲が切れて、甲板に陽光がさしはじめていた。その雲の切れ間から爆音が聞こえてきた。
400機のB29爆撃機と、第3艦隊の艦上機1500機による一大ページェントだった。
航空ショーが終わると、マッカーサーは米国民向けのラジオ放送を行った。
「わが同胞諸君、今日、大砲は沈黙している。一大悲劇は終わった。大勝利が勝ち得られた。空はもはや死を降らさない。海洋はただ通商のみに使用され、人々は、太陽の下をいずこにおいても闊歩できる。全世界は全く穏やかな平和に包まれた。神聖なる使命は完成された……」
戦艦「ミズーリ」艦上の降伏調印で演説するマッカーサー。その奥の星条旗は92年前、ペリー提督が日本に開国を迫ったとき、旗艦「サスケハナ」に掲げられたもの
平塚柾緒(ひらつか・まさお)
1937年、茨城県生まれ。出版社勤務後、独立して取材・執筆グループ「太平洋戦争研究会」を主宰し、数多くの元軍人らに取材を続けてきた。著書に『東京裁判の全貌』『二・二六事件』(以上、河出文庫)、『図説 東京裁判』(河出書房新社)、『見捨てられた戦場』(歴史新書)、『写真で見る「トラ・トラ・トラ」 男たちの真珠湾攻撃』『太平洋戦争裏面史 日米諜報戦』『八月十五日の真実』(以上、ビジネス社)、『玉砕の島々』(洋泉社)、『写真で見るペリリューの戦い』(山川出版社)、『玉砕の島 ペリリュー』(PHPエディターズ・グループ)など多数。原案協力として『ペリリュー ─楽園のゲルニカ─』(武田一義著・白泉社)がある。
更新:11月22日 00:05