2019年07月03日 公開
2022年01月21日 更新
(アメリカから届いた緊急援助物資(ララ)のキャンディーを頬ばってご満悦の戦災孤児たち。1946年12月17日)。
先の大戦に敗れた日本は、初めて「連合国」という名の外国の軍事力によって6年8カ月ものあいだ占領され、統治される経験を強いられた。
この占領期に関する記録や出版物は膨大な数に上っているが、写真を中心とした“目で見る占領史”は必ずしも多くはない。
当時、まだ時の状況を写真や映像に記録しておくだけの態勢が整っていなかったからでもあろう。
だが今日、「占領期」という時間が、いよいよ「歴史」となり、研究の対象として当たり前のものとなった。
今後、さまざまな新事実が究明されていくであろう、その時のために、現在の視野をビジュアルで示しておこうと刊行されたのが『写真でわかる事典 日本占領史』(平塚柾緒著、PHPエディターズグループ刊)である。
※本稿は、同書の一部を抜粋、編集したものです。
占領下で迎えた初めての新年、1946年(昭和21年)元旦は昭和天皇の「人間宣言」で始まった。天皇は当時、現人神とされていた。人の姿となってこの世に現れた神という意味である。それは、天孫降臨の記紀神話に基礎を置き、日本誕生の歴史として、あまねく教育されていた。そういう神格化された天皇像を、天皇自ら新年の詔書の中で否定したのである。
当時、天皇の神秘的な権威は、すでに敗戦という厳然とした事実と、天皇の上にマッカーサー総司令官という日本国統治者がいることを見せつけられて著しく低下していた。しかし国民は、改めて天皇自身が告知したことで精神的支柱を失って戸惑うと同時に、一方では神話の呪縛から解放されたとも感じた。
(父親が戦場で戦死や負傷した家々の子供たちを預かっている東京の福祉施設「育成園」で、にこやかに声をかけられる両陛下。1948年10月8日)
そうした国民の戸惑いや呪縛を拭い去ったのが、翌2月から始めた地方巡幸だった。昭和天皇は精力的に全国を訪れ、1954年8月の北海道訪問で全国巡幸を終えられた。
その巡幸を国民はどうお迎えしたか? 現人神を目の当たりにした人々は、いかなる表情を見せたか? 敗北と飢餓に襲われて絶望の中を生きている人々に「人間天皇」は笑顔をもたらし、明日への勇気を与えたに違いない。
更新:11月22日 00:05