こうして、辛くも独立国の立場を守ってきた琉球ですが、明治時代になるといよいよ自治が失われることになります。
明治5年(1872)、大蔵大輔の井上馨が、琉球国の領地と人民を日本政府のものにするという建議を日本政府に出し、これが通ります。こうしていわゆる「琉球処分」が行われ、外国との直接交渉は禁止、琉球国王の尚泰は藩知事となり、ほかの大名と同じ扱いになっていくのです。結果、琉球国王は君主としての立場は失われ、家系は日本の華族として継続することになりました。
さらに、明治12年(1879)になると、日本政府が軍隊300名余と、警官160余名を派遣して首里城に入城、城を明け渡させて、廃藩置県を布告します。このような強制的な形で、琉球は日本の領土になるのです。
この事態に、清としても、琉球は自国の冊封国であるから勝手なことをしては困ると抗議します。この際、琉球は清、日本、どちらのものかという議論になるのですが、結論が出ないまま明治27年(1894)に日清戦争が勃発、日本が勝って台湾の割譲に成功します。台湾が日本の領土になる以上は、その間の琉球や奄美諸島など南西諸島はもちろん日本の領土ということになったわけです。
いま私たちは、当たり前のように、沖縄は日本の領土であり、沖縄県人は同じ日本人だと思っていますが、実はその昔、琉球は独立国で、長い歴史の中で日本の中に組み込まれていったという歴史の流れを知った上で沖縄のことを理解することが非常に大事なことだと思います。
※本稿は、山本博文著『東大流 教養としての戦国・江戸講義』(PHPエディターズグループ』より、一部を抜粋編集したものです。
更新:11月24日 00:05