首里城(沖縄県那覇市)
堺の商人の活躍を描いたNHK大河ドラマ『黄金の日日』(原作は城山三郎、ドラマ脚本は市川森一が手掛けた)は、ある程度の年齢以上の方にとってはおなじみではないでしょうか。
時代物といえば武士が活躍するのがお決まりの大河ドラマで、初めて商人にスポットを当てた斬新な切り口ながら、そのドラマチックな展開によって大ヒットしました。この物語は、海洋貿易が活発化していた戦国時代の商人の世界が舞台になっていますが、それだけ、商人たちが自由に活躍できた時代だったことを示しています。
16世紀に入って活発化した日本の貿易商人の躍進が、海洋国家として発展していた琉球の衰退を招く一因になっていました。独立国だった琉球は、最終的に日本の一地方としてその勢力圏の中に飲み込まれていくわけですが、どのような経緯をたどっていったのでしょうか。
室町幕府が衰退していくと、日本の商人が貿易に乗り出すようになり、乱世に後押しされるように一気に活発化するわけですが、琉球にとって決定的だったのは、戦国時代の末期に薩摩の島津氏が大隅と日向を統一して南九州を制覇したことです。島津氏は、半島のさらに先に広がる南西諸島へと食指を伸ばし、日本から琉球に向かう貿易を独占しようとするのです。
それまで、日本のどこからでも自由に琉球へ行けたのに、島津氏に許可を得て「琉球渡海朱印状」の発給を受けなければ渡航できないという決まりをつくってしまい、琉球に対しても朱印状を持たない船を港に入れないよう要請しました。島津氏によれば、室町時代に幕府から「琉球を薩摩の付庸国とする」という許しを受けたということで、それを根拠に琉球貿易の独占を正当化していったのです。
ほどなくして、秀吉の九州攻めによって島津家は秀吉に服属します。秀吉は、朝鮮出兵を行う際、琉球を与力として島津氏に付けるという朱印状を出します。これには、島津氏が琉球の兵をも召し連れるよう書かれていました。島津氏は、琉球に対し兵こそ出させませんでしたが、軍役に相当する費用を負担させました。
琉球国では、薩摩の独占体制を歓迎するはずもありません。明の冊封を受けたり、日本の室町幕府に家臣のような扱いを受けたりしても甘んじて受け入れてきたのは、あくまで自国の独立性を守るためでした。そこで、薩摩からの要求を、何かと理由をつけて実施を遅らせたりして時間稼ぎをしていました。
更新:11月10日 00:05