2019年03月22日 公開
2023年01月30日 更新
当日のメニューは以下のとおりである。
御茶の後、鯛のお吸い物が出された。本膳は、ひらめの刺身、くわい、玉子、甘露梅など。
酒も出されたが、酔いが回ってきた頃、焼き豆腐・芋・大根が煮られた鍋が届けられてきた。さきほど、長生村の農家で正靖たちが見た鍋である。皿に盛り付けられ、各自の前に出された。だから、前もって調理されていた様子を見せたのだ。
食事が一通り済むと、いよいよ、お殿様の出番となる。
最初、正靖たちにお酌をしていたのは、紀州藩士たちである。数献重ねた後、招待客のうち木村次郎太郎という者から、斉順の御前に進み出た。斉順は手づから、御お銚子を持ってお酌している。最高のおもてなしといったところだろう。
正靖の番となった。
紀州藩用人の筒井内蔵允からは、斉順のお酌なのだから当然の礼儀として一盃は吞み干すように、と声が掛かった。しかし、斉順は正靖に対して、酒があまり吞めない者に無理強いはしないと言葉を掛け、少ししか注がなかった。
実は正靖は酒に弱かったが、そのことを斉順も覚えていたのだ。斉順の心遣いに、正靖は感激する。
将の言葉一つで、感激した士卒が一命を捨てる例は古来少なくないが、まさにこれだというのだ。感涙に堪えない気持ちを込めた一句も詠んでいる。
身にあまる かたしけなさを 思ふにそ まつほろほろと 涙落ちけり
その後も、焼いた鰺、長生村の囲炉裏で串焼きにされた川エビが出された。酒が吞めない者には御飯が出された。お腹がいっぱいになると、茶菓子である。お菓子は羊羹・饅頭・紅梅餅の3品だ。江戸の高級料亭に勝るとも劣らない食事の数々であった。
最後に、さきほどの農家で見た、大根・ゴボウなどが入った荷籠が届けられ、お土産として各自頂戴した。至れり尽くせりの饗応である。その上、お殿様からもお酌してもらったわけであるから、その感動は正靖にとり言葉では言いつくせないものだった(村尾嘉陵「嘉陵紀行」『江戸叢書』一、江戸叢書刊行会、1916年)。
こうした光景が紀州藩に限らず、各江戸藩邸内の庭園で展開された。庭園の景勝を楽しんでもらうだけでなく、食事をセットとした「おもてなし」により、その感動を高める工夫が施ほどこされていたのである。
更新:11月22日 00:05