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明石掃部~主・宇喜多秀家を守るために。キリシタン武将の覚悟

2018年10月31日 公開
2022年08月08日 更新

鈴木英治(作家)

殿を守るために…

──こうしてはおられぬ。

馬の腹を蹴るや掃部は秀家のいる本陣に向かって駆けた。敵勢に包囲される前になんとしても秀家に落ちてもらわなければならない。

本陣の前で掃部は下馬し、幔幕をはね上げて中に入ろうとした。だが、その前に掃部とぶつかるような勢いで本陣から出てきた者があった。驚いたことに秀家本人だった。

「殿っ」

驚いて掃部は声を発した。

「おう、掃部か」

意外に冷静な顔で秀家が掃部を見る。

「余は今から小早川勢に斬り込み、金吾を斬りにまいるつもりだ。そなたもついてくるか」

いうやいなや、大柄な体軀を躍動させて秀家がひらりと愛馬にまたがった。我知らず目をみはるような、颯爽たる若大将ぶりである。

「殿、おやめなされ」

手を伸ばし、掃部は秀家の愛馬の轡をがっちりとつかんだ。

「なにをする、掃部。放せっ、放すのだっ」

秀家が馬腹を蹴り、愛馬を走らせようとする。それを掃部は許さなかった。

「なりませぬ」
「余は金吾を殺しに行くのだ。あの男、太閤の恩顧も忘れ、裏切りおった。決して許せぬ。余は金吾を殺さねば気が済まぬのだ」

血を吐くような口調で秀家がいった。

「なりませぬ。敵将を殺しに行くなど、端武者のすることでございますぞ」
「彼の上杉謙信公も、川中島の合戦の折りには武田信玄公の本陣に斬り込んだではないか」
「あれは、あくまでも伝説、伝承の類に過ぎませぬ」
「うるさい、掃部。伝承かどうかなど関係ない。とにかく余は金吾を討つのだ」
「殿、無理でございます。謙信公も信玄公を討つことはできませんでした。それに、今から小早川勢に突っ込んでも、金吾のもとまでとてもたどり着けますまい」
「余は必ずたどり着いてみせる」
「そのようなこと、できるはずがありませぬ」
「掃部、轡を放せ。放さぬと斬るぞ」

鬼の形相で秀家が命じてきた。

「どうぞ、お斬りなされ」

轡をつかんだまま掃部は昂然と胸を張った。秀家が腰に佩いた太刀を引き抜いた。だが、太刀を振り下ろしてはこなかった。

「くそう」

顔をゆがめ、秀家が唇を嚙む。それをあきらめとみた掃部は、秀家の愛馬の首を伊吹山のほうへと無理矢理に向けさせた。

「走れっ」

同時に馬の後ろに回って、掃部は尻を強く叩いた。いななきを上げて、馬がだっと走りはじめる。慌てたように馬上の秀家が手綱を握り直した。

さすがに駿馬で、秀家の姿はあっという間に掃部の視界から消えた。馬廻や旗本が秀家のあとを一目散に追いはじめた。

これでよし、と掃部は思った。これで必ずや殿は逃げ切れるであろう。

「俺は敵中に突っ込む」

──念のために俺は、殿が落ちるための時を稼がねばならぬ。

愛馬にまたがった掃部は、まわりにまだ居残っている麾下の軍勢に向かって叫んだ。

「これから俺は敵中に突っ込む。我に続かんと思う者はついてまいれ」

すぐさま掃部は馬腹を蹴った。掃部と一緒に死に行く兵は少なくなかった。

決して強い者たちではないが、と掃部は思った。

──頼もしいではないか。

そんな感慨を抱きつつ掃部は正面にいる福島勢に突っ込んだ。

麾下の者たちとともに奮戦するうちに掃部は馬を倒され、徒歩になった。槍を振るって戦い続け、敵中深くに踏み込んでいったが、いつしかまわりには味方がほとんどいなくなっていた。

敵勢も福島勢ではなくなっていた。旗印からして黒田長政勢のようだ。蜜に群がる蟻のように黒田の兵が掃部に集まってきた。囲まれつつも掃部はなおも戦い続けた。

疲れ切り、体が動かなくなった。はっとして顔を上げると、いつしかまわりが静かになっていた。黒田勢は掃部を囲んでいるだけで、寄ってこなくなっている。

──いったいどうしたというのだ。

ふと目の前に一目で駿馬と知れる馬がおり、それには一人の武将が乗っていた。まわりを大勢の武者が守っている。少し曲がった大きな板を貼りつけたような兜の大立物からして、その武将が黒田長政その人であるのは疑いようがなかった。

「掃部どの、久しいな」

笑顔で長政が呼びかけてきた。黒田家の兵が襲いかかってこなくなったのは、長政の命があったからだと掃部は知った。

「甲斐守どの、こたびはよく働かれたな」

感嘆の思いを籠めて掃部はいった。むろん、戦がはじまる前の調略の見事さを褒めたのだ。

うむ、と長政がうなずく。長政を見つめて掃部はいった。

「それがしは死地を求めてここまでやってきたが、まだこうして生きておる。信仰のため自害はできぬ。甲斐守どのの手で、それがしを討ってくれぬか」
「それは御免こうむる」

毅然とした態度で長政が拒否した。

「なにゆえ」
「デウスさまは、おぬしにまだ死ぬな、生きろとおっしゃっているように思えるからだ」

不意に長政が馬を下りた。

「掃部どの、この馬を使いなされ。この馬を駆ってこの戦場から生き延びられたら、まさしくデウスさまの思し召しであろう」

デウスさまの思し召しといわれて、掃部から死ぬ気が失せた。

「では、ありがたく」

手綱を受け取り、掃部は馬にまたがった。

「この馬は返さずともよいのか」
「ああ、気に入ったら、ずっと使ってもらって構わぬ」
「では、お言葉に甘えさせてもらおう」

手綱を握り直した掃部は馬腹を蹴ろうとした。そこに長政の声がかかった。

「掃部どの、おぬしに頼みがある。この戦いも内府の勝利で決着がついた。いずれ仕置がなされ、この国も落ち着こう。そのときおぬしが無事だったら、俺の家臣となってほしいのだ。承知か」
「承知した」

その後、関ケ原合戦での落武者狩りも生き抜いた掃部は長政の言葉通りに高禄で黒田家に迎えられた。そして、長政が家康から与えられた筑前に移り住んだ。

だが、その幸せは長く続かなかった。秀家の重臣だった掃部を召し抱えていることで、長政は家康から謀反の疑いをかけられたのだ。

掃部は家臣たちとともに、長政のもとを離れるしかなかった。その後、筑前秋月の黒田家に仕えたりもしたが、結局は浪人となった。大坂の陣には豊臣方として加わり、夏の陣において討ち死にを遂げたといわれている。

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