小早川秀秋、脇坂安治、小川祐忠~関ヶ原「裏切り者」たちの思惑(1)
小早川秀秋、脇坂安治、小川祐忠~関ヶ原「裏切り者」たちの思惑(1)
松尾山・小早川秀秋陣跡から眺める関ヶ原古戦場 関ケ原合戦の「裏切り者」といえば、小早川秀秋が知られるが、脇坂安治、小川祐忠、朽木元綱、赤座直保、吉川広家も、東軍への内応者とされる。なぜ、彼らは西軍から東...
歴史街道 » #脇坂安治の記事一覧
松尾山・小早川秀秋陣跡から眺める関ヶ原古戦場 関ケ原合戦の「裏切り者」といえば、小早川秀秋が知られるが、脇坂安治、小川祐忠、朽木元綱、赤座直保、吉川広家も、東軍への内応者とされる。なぜ、彼らは西軍から東...
賤ヶ岳(滋賀県) 「賤ヶ岳七本槍」とは? 天正11年(1583)4月21日。美濃大垣から52キロメートルもの距離を、わずか5時間で駆け戻った羽柴秀吉の軍勢1万5千が、木之本に着陣、退却を始めた柴田勝...
小早川秀秋は裏切るのではないか…。 宇喜多秀家軍を指揮する明石掃部は、戦の先行きに不安を抱いた。──それでも、我らが押しまくれば、さすがに寝返りをためらうにちがいない。キリシタン武将は存分に戦うこ...
今日は何の日 慶長5年9月15日 天下分け目の関ケ原の合戦 慶長5年9月15日(1600年10月21日)、関ケ原の合戦が起こりました。天下分け目の決戦として、あまりにも有名です。 岐阜県不破郡関ケ原。岐阜県と...
今日は何の日 寛永3年8月6日 賤ヶ岳七本槍の一人・脇坂安治が没 寛永3年8月6日(1626年9月26日)、脇坂安治が没しました。賤ヶ岳七本槍の一人で朝鮮出兵では水軍を率いて活躍、関ヶ原では藤堂高虎と通じて、小...
更新:12月04日 00:05