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明石掃部~主・宇喜多秀家を守るために。キリシタン武将の覚悟

2018年10月31日 公開
2022年08月08日 更新

鈴木英治(作家)

関ケ原

小早川秀秋は裏切るのではないか…。

宇喜多秀家軍を指揮する明石掃部は、戦の先行きに不安を抱いた。──それでも、我らが押しまくれば、さすがに寝返りをためらうにちがいない。キリシタン武将は存分に戦うことを誓った。
 

鈴木英治 Suzuki Eiji
作家。昭和35年(1960)、静岡県生まれ。平成11年(1999)に、『駿府に吹く風』で角川春樹小説賞特別賞を受賞してデビュー(『義元謀殺』に改題)。主な著書に、累計200万部を突破している「口入屋用心棒」シリーズや、『信長誘拐』『大坂城の十字架』などがある。

 

南蛮人から耳にした噂

宇喜多勢1万7千人という兵力は関ケ原に布陣する西軍の中で最大であり、これほどの大軍の指揮を執ることを明石掃部はこの上ない名誉と考えているものの、この戦は勝てぬのでないかとの思いが今も脳裏のほとんどを占めている。

関ケ原に布陣している両軍の将兵は、合計で20万に近い。この大戦の火蓋はまだ切られていないが、宇喜多勢の右手にある松尾山に陣する小早川秀秋が、東軍に寝返るのではないかという風評がしきりに流れているのだ。

その風評は真実なのではないかと、掃部はにらんでいる。なぜなら、東軍の総大将である徳川家康の信頼が特に厚い黒田長政が、小早川秀秋を始めとする西軍の諸将に裏切るよう、事前に入念な根回しをしたという話を掃部は聞いているからである。

掃部はこの話を、関ケ原にやってくる前にイエズス会の南蛮人から耳にしたのだ。掃部はキリスト教の熱烈な信者で、南蛮人とも深い交流がある。そして、黒田長政もまたキリシタンであり、黒田家の家臣にもキリシタンは少なくない。そういう伝があって、南蛮人たちには黒田家中のさまざまな事情が伝わってくるようなのだ。

イエズス会の南蛮人によれば、父親の如水によく似て調略のやり手である長政は小早川秀秋の耳に次のような言葉を吹き込んだらしいのだ。内府 (家康)さまの側に寝返れば、金吾(秀秋)さまは大いなる恩賞を手にできましょう、と。

その上、秀秋は、秀吉に嫡男の秀頼が生まれた頃から身内の豊臣家から冷遇を受けはじめていた。朝鮮の役を戦って帰国したとき、秀吉によって筑前30万余石から越前北ノ庄十5万石に移封、減封を命じられてもいる。

なにゆえ半知も減らされるような仕置を秀秋がされたのか、これについてはしかとした理由を掃部は知らないが、秀吉の命に逆らって秀秋がなかなか朝鮮から帰国しなかったのを、咎められたのだともいわれている。

だが秀秋としては、船で行き来をしなければならない異国の地で足止めを食らうことなど、ままあることではないかといいたかったのではないか。それでも、秀吉の命にあらがうことなく北ノ庄に赴くことを決めたようだが、秀秋の腹のうちには沼底の泥のように怒りがたまったはずだ。今もそのときの怒りの泥は、はけ口を求めているのではあるまいか。

結局、秀秋が北ノ庄へと向かう支度をしている最中に秀吉が病死し、そののち家康の取りなしによって移封の命は取り消された。逆に秀秋は家康のおかげで筑前、筑後で59万石もの大封を得ることになったのである。

秀秋は家康にこそ恩があり、豊臣方にはうらみしかないといえるのだ。秀吉の妻高台院の兄である木下家定の子という出自から、豊臣方についてはみたものの、心情的にはもともと家康側に与したかったのではないかと思える男なのである。

もし戦がたけなわになった最中に、小早川勢1万5千が裏切って松尾山を駆け下りてきたら、西軍はいったいどうなるか。

考えたくもないが、横腹を衝かれ、一気に壊滅に向かってひた走ることになろう。一応、秀秋が寝返ったときに備えて大谷吉継や平塚為広が兵を配っているものの、兵力はまったく足りない。この二将の軍勢では、怒濤のように押し寄せる小早川勢1万5千の来襲を食い止めることは、まず不可能であろう。

──それでも我ら宇喜多勢が内府側の軍勢を押しまくり、西軍に勝ち目が出てきたときは金吾どのもさすがに寝返りをためらうにちがいない。

ゆえに今は、と掃部は心を決めた。

──これからはじまる大戦において、存分に力を振るうしかないのだ……。

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