2018年10月25日 公開
2023年10月04日 更新
那珂川と千波湖に囲まれる水の豊かな町・水戸。御三家のひとつ、水戸徳川家の拠点となったこの地は、初代頼房公から11代昭武公まで、計11人の殿様の領地の中心として栄えた。
「水戸黄門」で知られる二代・光圀公や、幕末に活躍する九代・斉昭公ゆかりの地をはじめ、水戸藩の歴史を堪能できる場所を紹介しよう。
写真:永井浩
徳川斉昭公によって天保12年(1841)に創立された藩校。およそ1,000人の水戸藩士たちがここで学んだ。正門、正庁・至善堂は重要文化財に指定されている。正門の柱にある弾痕が、明治元年(1868)、弘道館の戦いの激しさを物語っている。
正庁は藩主臨席のもと、大試験が行なわれた場所である。また、正庁と繋がっている至善堂は、藩主の諸公子たちが勉学に励んだ場。十五代将軍となった徳川慶喜公は、大政奉還後、至善堂「御座の間」で恭順謹慎を貫いた。
校内は偕楽園同様、見事な梅林に囲まれ、八卦堂、孔子廟、鹿島神社、要石歌碑など、貴重な文化財が数多く残っている。
水戸城大手門(復元イメージ)
平安時代末期から鎌倉時代の初めにかけて、馬場氏が居館を構えたのが始まりとされている水戸城。しかし、明治以降、多くの建造物が火事や解体により消失し、現在、薬医門のみ現存している。平成27年(2015)より旧水戸城大手門等復元整備が行なわれており、大手門が来年(2019)秋に、そして二の丸角櫓・土塀が再来年(2020)秋に竣工予定である。現在、工事現場脇の土塁の上に造られた仮設歩道を歩くことができる。工事の過程を眺めるのも、この時期ならではの醍醐味。復元する文化財の「一枚瓦城主」となれる寄付金募集も行なっている。自分の名が記された瓦を、後世に遺すことも……。
天保13年(1842)、水戸藩士や領民の休養の場として造られた庭園。約100種、3,000本の梅が植えられ、日本三名園の一つとされている。
「領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたい」という願いを込めて、徳川斉昭公は偕楽園と名づけた。園内にある二層三階建ての木造建築「好文亭」は、休憩所として造られたもの。斉昭公はここに文人墨客や家臣、領内の人々を集めて、詩歌や慰安会を催したという。三階「楽寿楼」からは千波湖が一望できる。
水戸といえば梅。餡を求肥でくるみ、それを梅酢に漬け込んだ紫蘇の葉で包む「水戸の梅」は、甘さと爽やかさを備えた水戸の銘菓である。また、徳川斉昭公ゆかりのお菓子といえば「吉原殿中」。御殿女中の吉原が、供え物のごはんを乾燥させて煎り、水飴、きな粉をまぶして作ったのが始まりとされている。素朴な味がどこか懐かしく、病みつきになる味。
創業128年の老舗「水戸井熊総本家」では、この二つの銘菓を味わうことができる。
更新:11月23日 00:05