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松平春嶽~動乱の時代にあって、名君が貫き通したもの

2018年12月23日 公開
2023年10月04日 更新

童門冬二(作家)

中根雪江
中根雪江像(福井市・神明公園)
 

名君を支えた家臣たち

こうした松平春嶽の活躍は、有能な家臣たちによって支えられました。

初期の代表は橋本左内でしょう。医者の家に生まれ、緒方洪庵の適塾で学んだので、国際情報に詳しかった。彼を用いることで、春嶽は国際事情を的確に理解できたと思います。

しかし、橋本は安政の大獄で刑死しました。これは春嶽にとって、痛手だったに違いありません。

それでも、村田氏寿などの側近が残っていたし、春嶽が養子に入ったときから支え続けた中根雪江もいました。

国学を学んだ中根は、国粋主義的な考えを持っていたけれど、命じられたことを忠実に実行する忠臣であり、春嶽にとってありがたい存在だったといえます。

橋本、村田、中根たちは福井藩士ですが、最も大きな貢献をしたのは、熊本藩士の横井小楠です。

小楠が嘉永4年(1851)に福井藩を訪問して講演した際、70人近い聴講者が集まったといいます。その後、藩校を創設するにあたって福井藩は小楠に意見を求め、安政5年に招聘されて小楠は福井に赴きました。

当初は藩校の賓師という立場でしたが、さまざまな改革に力を貸すようになります。弟子の一人である由利公正が、のちに書いた五箇条の御誓文の草案は、小楠の教えが基本となっているといえるでしょう。

「民が豊かになれば国も豊かになる。国が豊かになるためには民を豊かにしなければならない」という横井小楠の考えを受けて、由利公正は藩の財政の立て直しを手がけて成功させます。

その大きな柱が産業振興でした。付加価値のある名産品をつくり、長崎に設けた商事会社のような出先機関を通して外国に売る。さらには、蝦夷地との交易も行なっています。

勝海舟が神戸に海軍操練所をつくろうとして、資金が足りなくなったとき、春嶽は五千両を援助しています。福井藩が産業振興に成功して財政が豊かだったからこそ、支援が可能だったのです。
 

付き合いやすい名君の真骨頂

横井小楠は酒癖が悪く、武士として問題のある人物でした。熊本藩は小楠の「貸出」を渋ったのですが、藩主の娘が正室として嫁いだ福井藩で悶着が起こることを危惧したからでしょう。

そんな小楠を招いて腕を振るわせたことは、リーダーとしての松平春嶽の特徴を物語ります。つまり、人の発見していない長所を見出し、それを引き出して自分のために使う。

その際に「私を利用して、あなたがやりたいことをやりなさい」という立場を取る。だからこそ、部下が能力を十二分に発揮できる。そして成功すると、評価がブーメランのように戻って、春嶽の価値が上がる……。

春嶽はオリジナルな発想がある人ではなく、部下の良いところをうまくすくいあげていくリーダーで、人使いのうまい編集者のような名君だったと思います。

名君にはいろいろなタイプがありますが、春嶽は米沢藩の中興の祖・上杉鷹山のようなお堅い名君ではありません。一介の浪人である坂本龍馬とも直接、話をするような、付き合いやすい名君でした。

身分にとらわれず、誰とでも親しく接したことから、「春嶽と按摩のような名をつけて上を揉んだり下を揉んだり」などと歌われたりもして、八方美人という評もあります。しかし、いい意味での八方美人だったのでしょう。

なぜなら、その場しのぎでいい顔をするのではなく、「尊王敬幕」という姿勢が一貫していたからです。

江戸開城の後、春嶽は新政府に対して、徳川宗家の相続人に田安家の家達を指名するとともに、諸侯の中でトップに位置づけようと図り、加賀の前田家を上まわる百十万石の領地を要求しました。最後の最後まで徳川家を大事にしたのです。

こういう「手のひら返しをしない人」は、信頼に値すると誰もが感じるでしょう。たとえ敵対していても、春嶽は相手から何かしらの敬意を持たれたのではないかと思います。

坂本龍馬が慶応3年11月に、新政府の綱領を記した手紙の最後で、こんなことを書いています。

「諸侯会盟の日を待つて云々。○○○自ら盟主と為り、此を以て朝廷に奉り、始て天下萬民に公布云々」

大名が集まって新政府の綱領を決め、「○○○」が盟主として朝廷に示した後、公布するという手順をいっているのですが、「○○○」は「慶喜公」とするのが定説です。

しかし、私は「春嶽公」のほうが合うような気がします。徳川慶喜を含めた当時の諸侯の中で、「誰が代表になったら、みんなが収まるか」を考えると、敵が少なく、敬意を持たれていた春嶽が筆頭候補に挙げられても、違和感がないからです。

    *     *     *

常に変わらない恒温の水は、暑いときには涼しく感じられ、冬場の寒いときには温かく感じられます。松平春嶽をひと言で表現するならば、「恒温の政治家」といえるでしょう。

天地がひっくり返るほどの大動乱期において、「尊王敬幕」の姿勢が揺らがず、常に一定の温度を保った春嶽は、稀少な存在だったのです。

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