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「志国高知 幕末維新博」、第二幕へ

2018年03月29日 公開
2023年10月04日 更新

『歴史街道』編集部

 

日本初の貿易商社「海援隊」

 明治維新から150年を迎える今年。各地でイベントが催され、関連書籍も書店に並ぶなかで、改めて注目を集める1人が、坂本龍馬であろう。

 龍馬の功績に関しては、いまも様々なかたちで語られている。犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩の間を取り持った「薩長同盟」、実現のために奔走した「大政奉還」などが挙げられるが、忘れてはならないのが「海援隊」の設立である。

 海援隊は日本初の貿易商社ともいわれ、活躍の場を世界に求めた点で、まさしく時代を先駆けた画期的な組織だった。

 「運輸、射利、開柘、投機、本藩の応援を為すを以て主とする」

 海援隊約規の、第1条冒頭である。貿易・海運業や私設海軍、さらに開拓まで、多岐にわたる活動内容が記されている。ジャンルなど関係なく、「日本のために、為すべきことは何でもやる」というのが、龍馬の考えだったのだろう。

 そもそも、海援隊のメンバーは、出自も身分も異なった。中心は土佐藩出身者だが、紀州(陸奥陽之助、のちの宗光)や越後(白峯駿馬)出身の者もいて、身分も武士から商人まで幅があった。しかも、今でいえば大卒数年目の若者の集まり。まさに「多士済々」の緩やかな組織であった。

 彼らは様々な分野に活動の裾野を広げる海援隊において、「海軍創設」という共通の志を根底に置きながら、自由な発想と夢を育んでいった。その代表が、近藤長次郎である。

 龍馬の幼馴染であった長次郎は、河田小龍、岩崎弥太郎、江戸で安積艮斎に学び、その後は勝海舟の塾に入塾。いわば「知のエリート」だが、その一方で「海外をこの目で見たい」とイギリス密航を目論んでいる。当時から、確かに世界を見据えていたのだ。

 長次郎だけが、特別だったわけではない。龍馬よりその才能を賞賛されていた陸奥陽之助は、龍馬の秘書役的な存在で、当時の経験を活かして明治時代には外務大臣を務めている。

 一方、龍馬が語る蝦夷地開拓の構想に魅せられた高松太郎は、「蝦夷地の物資を売りさばくためには商人の後押しが必要」と、大坂商人との交渉に当たった。さらには、幕府軍との下関海戦では、ユニオン号に乗り組み勇戦した千屋寅之助や新宮馬之助のように海軍士官の道を地で行く者もいた。

 去る3月22日(木)、そんな龍馬の「志」をいまに復活させるべく、高知県の尾﨑正直知事が高らかに掲げたのが、「平成の海援隊」プロジェクトである――。

 

直筆の龍馬の手紙

 昨年3月より、高知県では「志国高知 幕末維新博」を開催している。

 同博覧会は、第一幕開幕と同時に開館した高知県立高知城歴史博物館をメイン会場、高知県内の各地を地域会場としており、会場入場者数は開幕から160万人を超える。

 また、昨年の県外からの観光客入込数は、福山雅治さんが龍馬を演じて話題をよんだ大河ドラマ「龍馬伝」が放送された2010年を超える、過去最高の440万を記録する盛り上がりをみせている。

 そんな同博覧会は、「第二幕」の開幕を4月21日(土)に控えている。同日は、「龍馬の殿堂」ともいうべき高知県立坂本龍馬記念館のグランドオープン日。同記念館は、これまでも多くの龍馬ファンが足を運ぶことで知られていたが、昨年4月より休館して、本館のリニューアルと新館の建設工事をおこなっていた。

 新館では、龍馬の生涯を、誕生から江戸の修行時代、脱藩、勝海舟との出会いから薩長同盟、そして大政奉還まで、貴重な資料とともに時系列に沿って紹介。特筆すべきは、同記念館の展示が「本物」にこだわっている点だ。

 昨年、龍馬が初めて「新国家」という言葉を用いたとされる直筆の手紙が新発見されて、大きな話題を集めた。この「新国家の手紙」や、寺田屋事件の様子を西郷隆盛らと「大笑い」したことなどを認めた「大笑いの手紙」をはじめ、17の龍馬の「本物」の手紙もオープン特別記念として順次展示される。

 

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