2015年12月04日 公開
2015年12月17日 更新
――今回、書かれた帰蝶ですが、以前から気になる存在だったのですか?
諸田 織田信長は時代を変革した人として人気が高いですが、その一方で、何万人もの人を殺した暴君なんです。どうしてそんな殺人鬼がもてはやされるのか疑問に感じ、その家族のことが気になっていました。女たちはどんな思いで信長を受け入れていたのか、心を許す瞬間はあったのか。特に帰蝶は若いときから信長の側にいて、果たして幸せだったのだろうかと……。
――帰蝶が唯一、信長にもの申せる存在に描かれていて新鮮でした。
諸田 女性が飾り物として一段下に見られていたのは、江戸時代なんです。生きるか死ぬかの戦国時代、女性の力はもっと強かった。びくびくばかりしていては、暮らしていけませんから。案外たくましくて、力も発言権もあったはず。戦国時代は、規範にとらわれず、融通無碍に生きないと、命を落としてしまうのです。
織田家の奥を仕切っていたのは正室の帰蝶。側室たちも役割分担をして、信長の統治を陰で支えていたと思います。親兄弟も信用できない時代だからこそ、信長は、気を許した女性には重要な役目を任せていたのでしょう。小牧山城は吉乃、安土城はお鍋、岐阜城は帰蝶といったように、女性を出身地に配し、その地を統治するのに力を借りたのではないでしょうか。
――帰蝶は本能寺の変(1582)より前に亡くなっていた、あるいは離縁されていたという説もありますが……。
諸田 帰蝶は資料にあまり登場しないのですが、資料がないということは、変化がなかったとも考えられます。死んだ記述がないということは、生きていたとも……。信長は、吉乃など、側室が亡くなったときは、息子を喪主にして大々的な葬儀をしていますので、葬儀の記録がない帰蝶が、本能寺の変の前に亡くなったと考えるのには無理があります。
近年、大徳寺総見院の織田家の過去帳に、「養華院殿要津妙玄大姉」という記載が見つかったのですが、それを帰蝶だと考えると、慶長17年(1612)に亡くなったことになる。『妙心寺史』にも、信長公夫人が一周忌の法要を行なったと書かれています。にもかかわらず、なぜ帰蝶が表に出てこなかったのか、本能寺の変の後どうしていたのかは私の推察ですが、ぜひ本を読んでいただきたいと思います。
――帰蝶は美濃から嫁に行きました。ついてきたのが斎藤玄蕃助・新五兄弟。その後、対照的な生き方をするこの2人も魅力的に描かれていますね。
諸田 帰蝶、そして嫡男・信忠は、斎藤兄弟をはじめとする美濃衆にとって希望の星だったんです。信長を討った明智光秀や、光秀の腹心・斎藤内蔵助も美濃出身です。信長の家臣団のなかで、美濃衆と尾張衆が勢力争いをしていたことも、本能寺の変の背景にはあるのかもしれません。
――本能寺の変の黒幕は誰かといった議論が、盛んにされています。
諸田 私は、光秀の背後に黒幕がいたとは考えていません。ただ、いろいろな人の思惑、利害関係が交錯し、偶然も重なって事件は起きるんです。誰かが矢を放って、討たれた人が死んだという単純な図式ではないと思います。
――今回の物語で重要な役目を果たすのが、立入宗継という京の豪商です。彼は実在の人物なのでしょうか。
諸田 はい。禁裏の御倉職という役職を担っています。朝廷と武家のパイプ役を務めていたのでしょうね。正親町天皇の使者として信長に会ったり、信長と本願寺との和睦に尽力したりしています。帰蝶との関係は私のフィクションですが、京の都を動かしているのは商人。信長の懐にも、深く入り込んでいたのではないかと。商人にとっては、天下を取るのが誰であろうと関係ない。自分たちが安定した暮らし、商売ができることが重要なんです。それを許してくれない天下人は早々に見限るんですね。立入宗継の存在を知り、実は生活者が歴史を動かしているのではないかと思いました。
――最後に『帰蝶』を書かれて見えてきたことについて聞かせてください。
諸田 戦国時代の婚姻関係の複雑さ、人間関係の難しさをつくづく実感しました。また、女性を主人公に据えることによって、上下関係、敵対関係だけでなく、人間同士の血の通ったかかわりが見えてくることにも気づきました。坂本龍馬を書くと幕末が見えるように、帰蝶を書くことによって、信長だけでなく、戦国という時代が活き活きと立ち上がってきたのを感じます。
――次の戦国小説も楽しみにしております。
更新:11月24日 00:05