
ロシアには「アネクドート」の文化がある。社会や政治を揶揄するような、風刺を込めた小話のことだ。元KGBのスパイであり、謎多きイメージのあるプーチン大統領に対し、ロシア国民はどのようなアネクドートを語っているのか。2度のモスクワ滞在経験があるジャーナリストの名越健郎氏が解説する。
※本稿は、名越健郎著『ジョークで読み解く「ロシア近現代史」』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。
「現代の著名人のなかで、プーチンは最も謎多き人物だと言っても過言ではない。彼に関するあらゆることがミステリアスであり、謎に包まれている」
トランプ米政権一期目にNSC(国家安全保障会議)に勤務した米国の著名なロシア専門家、フィオナ・ヒル米ブルッキングス研究所主任研究員は共著『プーチンの世界』(新潮社)でこう書いた。確かに、四半世紀にわたってロシアの独裁権力を握るウラジーミル・ウラジーミロビッチ・プーチンには依然として謎が多い。
1952年、ペテルブルクの労働者の家庭に生まれ、KGBでは「凡庸なスパイ」で、中佐止まりだった人物が、なぜ長期政権の維持に成功したのか。ペテルブルク副市長時代の1996年、サプチャク市長の落選で失業しながら、クレムリンに就職後、とんとん拍子に出世し、4年で大統領に上り詰めたのはなぜか。その背後で、実力組織である旧KGB勢力がどのような役割を果たしたのか。
もともと権力志向が希薄だったのに、恒久政権にこだわる理由も謎だ。プーチンは首相時代の1999年秋、エリツィンから後継指名を受けた時、「自分には荷が重い」としていったん断った経緯がある。
2000年に就任した当初は、「私は大統領職を民主的にするために全力を挙げる」「権力に野心はなく、任期が切れたら退陣するつもりだ」と欧米の専門家らに公言していた。
終身体制へ舵を切る転機の年は2004年だったと思われる。この年はチェチェン共和国独立派の凄惨なテロが頻発し、9月には南部のベスランで死者330人を出す学校占拠人質事件が起きた。プーチンは直後の演説で「国家の統一が脅かされている」とし、知事の公選中止や下院選挙改革など大統領の一元支配を強化した。
2004年には、NATOの東方拡大があり、バルト三国など中・東欧7か国がNATOに新規加盟し、ロシア包囲が強まった。この年の秋には、ウクライナで「オレンジ革命」が発生。大統領選での不正選挙に改革派市民が決起して大規模な抗議運動を行い、翌年のやり直し選挙で、親米派候補ビクトル・ユーシェンコが当選した。
民主化運動「カラー革命」が旧ソ連各地に広がり、プーチン政権は米国が背後で暗躍していると決めつけた。
2004年12月の深夜、タス通信が「安保会議は来年5月9日の対独戦勝60周年記念日を盛大に祝賀し、毎年軍事パレードを行うことを決めた」とする記事を流したことを覚えている。ソ連崩壊後、国家のアイデンティティーを喪失していたロシアが、愛国主義と戦勝神話を新たな国家イデオロギーに据えた形だ。
翌年から、戦勝記念日の軍事パレードがモスクワなど全土で行われ、戦勝への狂信的な信仰が始まった。国家機能や政権体質は変わり、それがやがて対外膨張につながった。
英国人女性ジャーナリスト、キャサリン・ベルトンも著書『プーチン ロシアを乗っ取ったKGBたち』(上・下、日本経済新聞出版)で、当初はリーダーの役目に乗り気でなかったプーチンは「1期目の4年が過ぎる中で、辞めるに辞められなくなるような事態が発生したことを理解した」と指摘。やはり2004年に「国の運営の仕方を消極的に変化させた」と書いている。
ベルトンによれば、1970年代後半にKGBレニングラード支部でプーチンの同僚だった旧KGB勢力が結集し、権威主義と長期政権につなげたとの見立てだ。プーチンは、憲法が定めた2期8年の大統領任期に沿って2008年にいったん辞任。後継者にサンクトペテルブルク時代の部下で、政権内リベラル派だったドミトリー・メドベージェフを指名し、当選させた。自らは首相に就任し、2人が実権を持つ「タンデム」(二頭立て馬車)といわれた。
プーチンは強運の指導者であり、ゴルバチョフ、エリツィン時代に低迷していた原油価格が就任後、中国など新興国の経済成長で高騰し、ロシアは高度成長時代に入った。政治的、社会的安定も回復し、プーチンの支持率は終始高かった。
48歳で大統領に就任したプーチンは、柔道や水泳、アイスホッケーなど得意のスポーツやアウトドアのパフォーマンスを披露し、病弱だったエリツィンとの差別化を図った。
プーチンは秘密主義のイメージがあるが、実際は違い、むしろ会見好きだ。政権が最も重視するテレビを通じた国民対話「プーチンと直通回線」は毎回4時間以上続き、立て板に水でてきぱき答える。毎回、幹部や知事らがやり玉に挙がるだけに、国民対話を皮肉るジョークも多い。
ある記者会見では、1990年代に白タク運転手のアルバイトをしていたことも明かし、庶民の目線をアピールしていた。政権前半のアネクドートは、強面(こわもて)のプーチンに是々非々で臨む作品が多い。
プーチン大統領が閣僚候補を数人執務室に呼び、「極秘」印の押された封筒を首相に届けるよう指示した。
一人の候補がトイレに寄り、こっそり封筒を開けると、中にはこう書かれていた。
「合格だ。わたしの部屋に戻ってくれ」
ロシア大統領選の投票所で、年配のロシア人が出口調査の質問を受けた。
「誰に投票しましたか?」
「共産党の候補だ」
「なぜですか?」
「昼間に共産党委員会に出頭する方が、夜中にルビャンカ(KGB本部)に連行されるよりましだ」
ロシア大統領選の投票所で、年配のロシア人が出口調査の質問を受けた。
「好きな作家は誰ですか?」
「ウラジーミル・ウラジーミロビッチ・ナボコフだ」
「好きな詩人は誰ですか?」
「ウラジーミル・ウラジーミロビッチ・マヤコフスキーだ」
「誰に投票しましたか?」
「ウラジーミル・ウラジーミロビッチ...。一体同じことを何度言わせるのだ」
注:ウラジーミル・ナボコフ(1899-1977)=欧米で活躍した亡命作家。少女への性愛を描いた『ロリータ』が有名。
注:ウラジーミル・マヤコフスキー(1893-1930)=1920年代のアバンギャルド(前衛芸術)を代表する詩人。
深夜、プーチン大統領が台所に入り、冷蔵庫を開けた。
すると、プリンがぶるぶる震え始めた。プーチン大統領が言った。
「心配するな。ビールを取りに来ただけだ」
政府高官の自宅にプーチン大統領から電話がかかってきた。夫人が取り次いで言った。
「あんた、大統領から電話よ」
「なぜ自宅の番号を知っているんだ」
「それよりも、この時間にあんたが家にいることを知っていることの方に驚きだわ」
モスクワ郊外の検問所で、交通警察がクルマを検問していた。
「お前はどこから来た」
「チェチェンからです」
「通すわけにはいかない。とっとと帰れ」
「お前はどこから来た」
「サンクトペテルブルクです」
「...どうぞお通りください」
プーチン大統領の記者会見で記者が質問した。
「サンクトペテルブルクをプーチンブルクと改名する噂があります」
「プーチングラードの方が語感がいい」
プーチン大統領が人気取りのため、狩猟、潜水、水泳、柔道のパフォーマンスを披露した。これを見た有権者が言った。
「彼にできないことは、護衛なしに町を歩くことだけだ」
スターリンは、いかにしてこの国を統治すべきかを示した。
フルシチョフは、能力がなくても統治のそぶりができることを示した。
ブレジネフは、能力のない者が統治できるわけではないことを示した。
ゴルバチョフは、この国の統治がいかに難しいかを示した。
エリツィンは、結局この国は統治できないことを示した。
プーチンは、石油価格高騰があれば統治はできることを示した。
レーニン時代は地下鉄。周囲は暗闇だが、前方に明かりが見える。
スターリン時代はバス。半分は(監獄に)座り、残りは立って震えている。
ブレジネフ時代は飛行機。一人が操縦し、残りは退屈でうんざりしている。
ゴルバチョフ時代は観光バス。一人がしゃべりまくり、残りは上の空。
エリツィン時代はタクシー。行けば行くほど高くなる。
プーチン時代は馬車。ニンジン(賄賂)を与えながら進む。
問=ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンとは誰のことか?
答=大歌手アラ・プガチョワ時代の取るに足らない政治家だ。
注:アラ・プガチョワ(1949-)=1965年にデビューし、活躍を続ける女性歌手。「百万本のバラ」などヒット曲を量産した。
更新:08月24日 00:05