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古代ローマの浴場は「スーパー銭湯」ラテン語さんと訪ねるカラカッラ帝の光と闇

ラテン語さん(ラテン語研究者)

アルジェンターリ門に掘られたレリーフ
アルジェンターリ門に掘られたレリーフ(撮影:筆者)

ローマの街には、街角の碑文、教会の壁、噴水の銘文など、今も都市の中にラテン語が生き続けているーー高校2年生からラテン語の学習を始め、X(旧Twitter)などでラテン語のおもしろさを発信しているラテン語さん(東京古典学舎研究員)が、ローマを旅しました。バチカン市国を訪れたあと、アルジェンターリ門からカラカッラ浴場へ。レリーフの「不自然な空白」が語るものとは?ローマの浴場「テルマエ」の姿とは?遺跡からカラカッラ帝の人物像に迫ります。

※本稿は、『今に生きるラテン語を求めて 「永遠の都」ローマ滞在記』(ラテン語さん著)より一部抜粋・編集したものです。

 

妻と義父、弟を「いなかったこと」に

ローマの探検はまだ終わらない。サン・ピエトロ大聖堂からMUSEO della FORMA URBIS(フォルマ・ウルビス博物館)を訪ねたあと、チルコ・マッシモ(「大競技場」(ラテン語でCircus Maximus)という意味の遺跡)の横を散歩する。脇道に入って少し歩くと、見えてきたのがアルジェンターリ門(Arco degli Argentari)だ。アルジェンターリとは「両替商たち」という意味で、彼らと牛商人がこの門をセプティミウス・セウェールス帝、その妻ユーリア、息子であるカラカッラ(兄)とゲタ(弟)などにささげた。

この門に彫られたレリーフを見ると、門の左半分にあるものにも右半分にあるものにも、不自然な空白がある。左半分には現在カラカッラのレリーフしか確認できないが、完成当初はカラカッラの妻フルウィア・プラウティッラと彼女の父プーブリウス・フルウィウス・プラウティアーヌスの姿があり、右半分にはカラカッラの弟ゲタのレリーフがあった。

では、なぜ現在それが消されているのか? そこにはカラカッラの凶暴さが関係している。カラカッラは妻を嫌悪しており、義父もろとも殺害した。加えて、自身の父セプティミウス・セウェールス帝の死後弟のゲタと共同で皇帝となるが、仲が悪い弟も暗殺させ、自分一人が皇帝になった。そして、妻と義父、弟ゲタがいなかったことにするため、レリーフから消させたのである。フォロ・ロマーノにあるセプティミウス・セウェールス帝の凱旋門に書かれた碑文からも、ゲタの名前が消されて別の言葉が刻み直された跡がある。

このように、ある人の記録などを抹消する行為をラテン語でdamnatio memoriae(記憶の断罪=ダムナーティオー・メモリアエ)と言う。皇帝の権力の強大さをありありと感じる場所、それがアルジェンターリ門である。

 

「銭湯の富士山」に通ずる心意気

このあとは、そのカラカッラ帝が建造したカラカッラ浴場を見学する。アルジェンターリ門でカラカッラの権力を闇の部分を見たが、今度はその皇帝による市民へのサービスを見てみよう。ということで、アルジェンターリ門からタクシーで10分もしない場所にあるカラカッラ浴場に向かう。

高校世界史の授業で、ローマの浴場(テルマエ)として先生がカラカッラ浴場を紹介していたことを覚えており、浴場の遺跡に行くならここと決めていたのだ。バチカン美術館でこの浴場にある図書室の床のタイルを見た記憶も新しいうちに、車は入口付近に着いた。

敷地の中に入ると、その広さに驚いた。入口から伸びる通路は200mあり、突き当たりを左に曲がるとまた250m通路が伸びている。当時の浴場はもっと広く、およそ幅330m、奥行き330mほどであった。

カラカッラ浴場などの古代ローマの大浴場は、銭湯というよりもスーパー銭湯のようなものであった。温水の浴室(カルダーリウム)だけでなく、ぬるめのお湯に浸かれるテピダーリウム、水風呂があるフリーギダーリウム、水泳用のプール、サウナ室なども存在した。さらに図書室や格闘技の練習場などもあった。地下では奴隷たちが火を焚いて水を沸かしていた。この時に出た熱い空気を建物の床下に流し、床暖房としていた。

浴槽に使う水は、紀元前2世紀に作られたマルキア水道から分岐させてカラカッラ帝がこの浴場のために引いたアントーニーニアーナ水道から供給されていた。このような浴場が無料で市民に提供されていた、ということが驚きである。

現在は浴場の建物が全て残っているわけではないが、残っている部分を歩くだけでも建物の大きさは容易に想像できた。さらに、床面の幾何学模様や怪物に乗る愛の神などのモザイク画などもこの遺跡で見ることができる。

テルマエは装飾にもこだわっていた。この浴場の敷地から発掘された雄牛やヘーラクレースの彫刻、現在はバチカン美術館で展示されているアスリートたちのモザイク画からも、見た目の美しさも重視されていたことが分かる(日本の銭湯で、浴室に富士山を描くのと似たような心を感じた)。無料で使える施設でも、市民を楽しませようとするカラカッラ帝の心意気が感じ取れる。このような豪華な浴場を提供して、市民からの人気を勝ち取っていたのだろう。今日はバチカンの豪華さと、カラカッラ帝の光の面と闇の面を見た一日であった。

プロフィール

ラテン語さん(らてんごさん)

東京古典学舎研究員

1992年栃木県生まれ。東京外国語大学外国語学部英語専攻卒業。ラテン語・古典ギリシャ語を教える東京古典学舎の研究員。高校2年生でラテン語の学習を始め、2016年からX(旧Twitter)においてラテン語の魅力を毎日発信している(アカウント名: @latina_sama)。

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