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『ばけばけ』の小泉八雲だけじゃない!コンドル・ベルツ…日本を愛した御雇い外国人たち

安藤優一郎(歴史家)

明治日本に来た「御雇い外国人」の中には日本文化に魅了された者がいた

連続テレビ小説『ばけばけ』のモデルとなった小泉八雲と同じく、明治時代、日本に多くの外国人がやってきました。西洋の技術を日本に伝えるため、「御雇い外国人」としてやってきた彼らですが、日本の怪談にのめり込んだ八雲のように、日本の文化に魅了され、研究を深めた外国人も多かったようです。彼らは日本でどんな活動をし、いかなる功績を残したのでしょうか。

※本稿は、『歴史街道』2021年12月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。

明治国家の近代化路線において、大きな役割を果たした「御雇い外国人」だが、その嚆矢は幕末に求められる。
欧米諸国の脅威を踏まえ、幕府や諸藩は軍事部門を中心に近代化に着手。明治維新後に顕著となる富国強兵路線の先駆けだったが、そこではオランダ、イギリス、フランスから招聘した外国人が手腕を発揮していた。

明治政府はこのスタイルをモデルとして、欧米人の技術者や学者を大勢招聘し、行政・法制・建築・科学など諸分野の指導に当たらせた。その数は計3000人前後にも達したという。近代化に対する政府の力の入れようが分かる数字だが、御雇い外国人への大いなる期待は高額な給料からも一目瞭然だ。政府のトップよりも高給取りの者さえ珍しくなかったからである。国籍でみると、その大半はイギリス・フランス・アメリカ・ドイツだった。
以下、イギリス・フランス・ドイツから来た4人の御雇い外国人の事績を通して、日本の近代化に果たした各人の役割を明らかにしていく。

 

【コンドル】 日本の近代建築の礎を築く

イギリス人の御雇い外国人として著名なのがコンドルで、「日本近代建築の父」などの異名を持つ建築家だ。

1852年にイギリスのロンドンで生まれたコンドルは、ロンドン大学などで建築学を学んだ後、ゴシック建築の権威であるバージェスの設計事務所に勤務する。
明治9年(1876)に若手の登竜門とされたコンペで優勝して名を上げたが、その翌年、明治政府の招きに応じて来日する。

この年、日本では工部大学校(現東京大学工学部)が誕生していた。同校は、鉄道、鉱山、電信、造船、灯台など殖産興業を実現するための、官営事業を掌る工部省が創設した技術者養成機関だが、コンドルは同大学校で教鞭を取る一人となる。その教えを受けた建築家には、東京駅や日本銀行などを設計した辰野金吾、赤坂の迎賓館を設計した片山東熊(とうくま)などがいる。

コンドルは人材育成にあたる傍ら、工部省営繕局顧問として政府関係の施設の建築に携わった。その代表的な建築物と言えば、明治16年(1883)に完成し、日本の欧化政策のシンボルとなる洋館鹿鳴館だろう。

21年(1888)に工部省を辞めると、コンドルは設計事務所を開設し、多くの洋館の建設に関わった。三菱1・2・3号館やニコライ堂などはその象徴的な作品であり、ここに日本近代建築の父としての名が定着する。

西洋建築の技術を日本に根付かせていったコンドルは一方で、日本文化への造詣が非常に深かった。日本庭園や生け花の研究に勤しむ傍ら、日本画家の河鍋暁斎に師事し、「暁英(きょうえい)」の雅号で数多くの作品を残す。そんな日本文化への関心の高さと共感は、コンドルの建築にも大きな影響を与えたと評価されている。

 

【ボアソナード】外交面でも尽力した法学者

次は、フランスからの御雇い外国人であるボアソナードを取り上げる。「日本近代法の父」と称される法学者である。

1825年にフランスのパリ近郊で生まれたボアソナードは、パリ大学法学部で学び、卒業後に弁護士となる。グルノーブル大学やパリ大学で教鞭を取ったが、日本との縁は明治6年(1873)に訪れる。

当時、司法制度の調査研究にあたるため、井上毅ら司法省の官吏がフランスに滞在していたが、駐仏公使鮫島尚信の依頼でボアソナードが井上たちに憲法や刑法を講義することになった。これが縁となり、政府はボアソナードを招聘する。来日したボアソナードは法学教育にあたる一方、政府の顧問としても大いに手腕を発揮した。

法学教育では、司法省法学校(現東京大学法学部)のほか、東京法学校(現法政大学)や明治法律学校(現明治大学)など、草創期の私立法律学校で教壇に立った。その卒業生からは、司法の実務や法学教育で活躍する多数の法律家が輩出している。

政府の顧問については、司法省を中心に元老院、外務省、法制局などの政府各機関で諮問に応えた。特に、7年(1874)の台湾出兵や15年の壬午軍乱の際、清との間には緊張が走ったが、外交顧問として事態の収拾に尽力する。20年(1887)の井上馨外務大臣による条約改正の折には、外国人裁判官任用案に異議を唱えることで反対運動の口火を切る役回りを演じた。

さらに、刑法や民法などの法典整備にも携わったが、フランスの民法典の影響が強かった民法案は施行が延期されてしまう。日本の伝統的な国民生活の美風に背くとして非難が巻き起こり、事実上廃案となった。結局のところ、個人よりも家を重んじる内容に修正の上、民法は施行される。いわゆる民法典論争である。

しかし、法律の近代化においてボアソナードが果たした数々の実績は高く評価されており、政府も勲一等の授与をもってその功績を賞している。

 

【ベルツ】湯治に関する世界初の論文を発表

最後はドイツからやって来た御雇い外国人を2人取り上げる。1人目は、日本の近代医学の牽引役となったベルツである。

1849年にドイツ南部のビーティッヒハイム・ビッシンゲン市で生まれたベルツは、医学を志す。テュービンゲン大学で基礎医学を学んだ後、ライプツィヒ大学に転学して内科を修めた。修了後は同大学病院の内科に入局したが、明治8年(1875)に肺を患って入院してきた、相良元貞(さがらもとさだ)という名の日本人留学生の治療を担当したことが奇縁となる。

ベルツの治療技術に感銘を受けた元貞は、日本にいた兄相良知安(ちあん)にその技量の高さを伝えた。政府で医学制度の改革を担当していた知安は、東京医学校(現東京大学医学部)の教員として招聘しようと考え、ベルツも要請を快諾する。翌9年にベルツは来日し、ここに26年間にわたる御雇い外国人としての歩みがはじまる。

生理学そして内科学を担当したベルツは日本人の医学生を熱心に指導する一方で、大隈重信や板垣退助など政府要人の診療にもあたった。明治天皇や皇太子時代の大正天皇の主治医も委嘱されている。

他の御雇い外国人と同じく、ベルツも日本文化にたいへん傾倒した。単に美術工芸品を収集するだけでなく、剣道や柔道といった日本古来の武道を嗜んでいる。さらには日本と日本人についての多数の論文と本も刊行したことで、日本通の外国人として広く認知されるようになる。

11年からは草津温泉に通い始め、温泉の効能についての研究に着手する。17年には日本の温泉治療(湯治)に関する世界初の論文を発表し、その効能を医学的見地から世界に発信した。これにより草津温泉は世界にその名が知られることになり、ベルツは今も草津の恩人として称えられている。

 

【モッセ】地方自治制に大きな影響を与える

 ドイツからの御雇い外国人の2人目は、モッセである。日本における、地方行政制度の創設に尽力した法律家だった。

1846年に現在のポーランドで生まれたモッセはベルリン大学で学び、ドイツの法学者グナイストの愛弟子となる。その後、ベルリン市の裁判所判事に就くが、在職中にドイツ日本公使館の顧問を委嘱されたことが、日本との縁のはじまりだ。

いわゆる明治14年の政変により、ライバルの大隈重信を失脚させて明治政府の主導権を握った伊藤博文は、君主権の強いドイツ流の憲法の制定を目指していた。同15年、憲法調査のためドイツに派遣された伊藤は、ヨーロッパ諸国の政治制度や立憲政治の運用に関して研究を進めたが、その際、グナイストやモッセから憲法や行政法の講義を受けている。

翌年に伊藤は帰国するが、19年(1886)にモッセは、内閣や内務省の法律顧問として招聘された。憲法制定について様々に助言し、22年(1889)公布の大日本帝国憲法制定に大きく貢献するが、モッセの功績はそれだけではない。

前年に地方自治制の根幹となる市制・町村制が公布されていたが、これは内務大臣、つまり政府の強い統制下に地方自治体を置くことを目指した行政システムの構築を意味した。市長が選挙ではなく政府から選任されたのはその象徴だが、この市制・町村制はモッセが内務大臣山県有朋の諮問に応えて起草したもので、ドイツの地方制度をモデルとしていた。日本の地方自治制に大きな影響を与える法制となった。

以上、御雇い外国人の事績をみてきたが、それぞれの立場で御雇い外国人が日本の近代化に大きな役割を果たしていたことが改めて確認できるだろう。彼らの力によって日本は近代化を急速に果たし、やがて欧米と肩を並べるほどの強国となるのである。

プロフィール

安藤優一郎(あんどう・ゆういちろう)

歴史家

昭和40年(1965)、千葉県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。同大学院文学研究科博士後期課程満期退学(文学博士)。江戸をテーマとする執筆、講演活動を展開。おもな著書に、『明治維新 隠された真実』『教科書には載っていない 維新直後の日本』『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』などがある。

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