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「完璧」「怒髪天を衝く」の故事成語の由来 藺相如と国宝・和氏の璧

2025年09月05日 公開

セピア(YouTuber)

万里の長城

中国春秋戦国時代、秦の昭襄王は周辺国に高圧的な姿勢で迫り、「悪の親玉」と恐れられていました。そんな中、趙の国宝「和氏の璧」をめぐる交渉で立ち上がったのが恵文王の側近・藺相如です。

本稿では、YouTubeチャンネルで歴史解説をするセピアさんの著書『ゾクゾクするほど面白い 始皇帝と春秋戦国時代』から、昭襄王と藺相如の国宝をめぐるやり取りをご紹介します。

※本稿は、セピア著『ゾクゾクするほど面白い 始皇帝と春秋戦国時代』より内容を一部抜粋・編集したものです。

 

中国・戦国時代(前403年-前221年)、西方の国・秦の昭襄王(しょうじょうおう)は前306年から前251年まで55年もの長きにわたって国王の座を温め、秦の1強状態を確立した人物だったのですが、戦国四君の1人・斉の孟嘗君を秦に招いて殺そうとしました。その他あの手この手で周辺国に高圧的な態度で接したり謀略にハメて搾取したりを繰り返す、「悪の親玉」のような存在だと見られていました。

 

趙の国宝「和氏の璧」

一方、恵文王が君臨する趙には「和氏(かし)の璧(へき)」と呼ばれる国宝の玉璧がありました。

玉璧とは、長江文明にルーツを持つといわれる、権力の象徴となる翡翠(ひすい)で作られた円盤状の祭器です。この「和氏の璧」はどうやら南方の国である楚で作られたものらしく、1強になりつつある秦に対抗するためにひと昔前に同盟の証として楚から趙に贈られたものが今や趙の国宝になっているという、大きくて傷1つついていないピカピカできれいな翡翠の玉璧でした。

 

怒髪天を衝く藺相如

そんな趙の国宝の噂を嗅ぎつけた秦の昭襄王は、さっそく趙に対して嫌がらせを仕掛けます。

昭襄王から派遣された秦の使者が趙に到着すると、彼は和氏の璧のことを当然のように話題に出して、秦の15城と交換しましょうと交渉を持ちかけました。胡散臭さ満点のこの話は、どう転がっても悪い展開にしかならなそうで、恵文王も重臣たちもうつむくばかり。相手は1強の秦。無視したら何をされるかわかりません。そんな状況の中、和氏の璧を持って秦に出向き交渉する大役を買って出たのは、とある宦官(かんがん)の食客であった藺相如(りんしょうじょ)という人物でした。

「殿下、事情はあらかた伺いました。今回の件、適任者がいないのであれば私にお任せください! もし秦の昭襄王が15城を渡すという約束を反故にしそうであれば、必ずやこの璧を完(まっと)うして帰って参ります!」

心強い言葉で恵文王の信頼を得た藺相如は、和氏の璧を持って秦へと向かいました。

秦の王宮にて、藺相如が昭襄王に和氏の璧を渡すと、案の定昭襄王は15城の話など全く口にしようとしません。このままなし崩し的に和氏の璧を奪ってしまおうという魂胆が見え見えでした。非礼な振る舞いに怒った藺相如は、実は傷がついているからその箇所を教えたいとウソをついて和氏の璧を昭襄王の手から取り返し、

「こんなふざけた国王に璧を奪われるくらいなら、この場で璧を叩き割ってやるわ!!」

と、被っている冠を突き抜けんばかりの勢いで髪の毛を逆立てて叫びました。

この藺相如の激怒する様子が【怒髪天を衝(つ)く】という言葉の由来となりました。怒りの凄まじい様を表現する言葉で、実はもともとは「怒髪冠を衝く」だったものが、時代が下って「天を衝く」となりました。確かに冠より天を衝いているほうがビジュアル的なインパクトが大きいですよね。

 

藺相如のパーフェクトな対応

慌てた昭襄王は、藺相如をなだめて15城が描かれた地図を出します。しかし絶対にウソだと疑う藺相如は、国宝引き渡しの儀式として今から5日間身を清めることを昭襄王に要求し、その場はいったんお開きとしました。

秦の宿で5日過ごした後、藺相如が再び昭襄王に謁見すると、やはり本当に15城を趙に渡すのか疑わしかったので、和氏の璧は趙に送り返しました、15城を渡してくれた暁には改めて和氏の璧を秦へお持ちしますと、堂々と言い渡しました。

ムッとする昭襄王でしたが、一国の君主として藺相如に何か感じるものがあったのか、

「お前の肝の据わり方はたいしたもんだ。和氏の璧と15城の交換の話はなしにしよう。またいつか話ができる時が来ればよいが、ともかくしばらく我が国でゆっくりしていくがよい。」

そう言って宴会を開き、藺相如を手厚くもてなしました。

おそらく秦で殺されてしまうだろうという趙の王宮の予想を覆し、藺相如は五体満足のまま趙に帰国することに成功したのです。

結局、藺相如は趙の面子を保ちながら、国宝の和氏の璧に傷1つつけることなく持ち帰って事態を収めました。きれいなまま璧を持ち帰った=璧を完うした藺相如のこの行動が、私たちが日常的に使っている【完璧】という言葉の由来となりました。もともとは「傷のない宝石」という意味ですが、現代の日本語では宝石に限らず「パーフェクト」を意味する言葉となっています。

ちなみに現代の中国語ではこの言葉は「完璧帰趙」という四字熟語になっていて、「貸した物をちゃんと取り返す」という意味で使われているそうです。いかにも中国の言葉らしい妙味を感じます。

念のため申し上げておきますと、完璧の「璧」は玉璧の璧であり、ベルリンの壁などの「壁」とは違って下の部分が「玉」なのでご注意ください。頭でわかっていても手癖で間違えて書いてしまうこと、ままありますよね。

 

黽池の会―藺相如の真骨頂

そんな完璧帰趙の出来事から数年が経過した頃のこと。懲りない昭襄王が派遣した嫌がらせの使者第2弾が趙にやって来て、恵文王に向かって言いました。

「秦の黽池(べんち)にて、両国の友好を祝う宴会を開催します。殿下も是非お越しください。」

どの口が友好だなんて言ってんだ? と恵文王は嫌がりますが、藺相如が自分も付き添うので行きましょうと促します。

そして招かれた秦の黽池の宴会場にて。昭襄王と恵文王の対面が実現し、宴もたけなわとなったところで昭襄王が切り出します。

「殿下は音楽がお好きだと聞いている。両国の友好を祝して、ここはひとつ瑟(しつ)(琴に似た弦楽器)を弾いてくれんか。」

おお、昭襄王も意外に風流なところがあるんだなあ、と感心している場合ではありません。これは一国の君主を見世物扱いするという失礼極まりない発言です。恵文王もそれはわかっています。しかし秦の軍事力は凄まじいので、下手に昭襄王の機嫌を損ねると大変です。内心では怒りながらも、言われるがままにしぶしぶ瑟を弾く恵文王。その様子を見て、秦の記録係が仰々しく書き記します。

「趙の恵文王が、秦の昭襄王の前で、瑟を弾きましたあぁ!!」

これを見てブチ切れたのが、恵文王に同伴していた藺相如でした。藺相如は昭襄王の前に出て言います。

「殿下、お久しぶりでございます。秦の国では昔から宴会で土器を叩いて歌うと聞きます。両国の友好を祝して、土器を叩いてくださいませ。」

ムッとする昭襄王に、藺相如は鋭い眼光を浴びせて畳みかけます。

「殿下、私とあなたの距離はわずか5歩ほどです。私の首の血をあなたに注ぐこともできますが、いかがいたしましょうか?」

差し違えてあんたを殺すこともできるんだぞ、と迫っているわけです。

「んだとコラァ⁉ この無礼者を殺せ!!」

近衛兵が叫びますが、藺相如が近衛兵たちをカッと睨みつけると、近衛兵たちはヘビに睨まれたカエルのように身がすくんで動けなくなってしまいました。

これ致し方なしと、つまらなそうな表情で1回だけ土器をポンと叩く昭襄王。その様子を見て、趙の記録係が仰々しく書き記します。

「秦の昭襄王が、趙の恵文王の前で、土器を叩きましたあぁ!!」

そして藺相如はニッコリ笑って、

「殿下の素晴らしい演奏のおかげで、宴会は大変盛り上がりました! 本日は誠にありがとうございました!」

半沢直樹もびっくりの、実に痛快な倍返しです。

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