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金沢城に使用された「鉛瓦」の輝き 加賀百万石の美意識があらわれた名城

2025年08月29日 公開

久保井朝美(気象予報士)

金沢城

年間を通して雨や雪が多い石川県。そんな気候風土を反映して、金沢城には独自の工夫が凝らされているといいます。城好きで知られる気象予報士の久保井朝美さんが、日本の風土と城の工夫、天気を味方にした合戦や武将など、日本全国37の城を題材に「天気×城」の新視点を紹介した書籍『城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城』より紹介します。

※本稿は、久保井朝美著『城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです

 

【金沢城】
重要文化財(石川門含め3棟)
石川県金沢市丸の内1-1など25筆
JR金沢駅から北鉄バス(兼六園下・金沢城)下車、徒歩5分(石川門口)

 

多雨多雪。そして雷は全国トップ!

石川県は多雨多雪地帯。日本海に突き出した半島なので湿った空気が流れこみやすく、1年を通して降水量が多いです。加賀と能登に分けられ、どちらも日本海側の気候です。加賀は山で雪雲が発達するため積雪量がより多く、能登は雪の量は比較的少ないものの、風の影響がより大きいという特徴があります。

金沢城がある金沢市は加賀で、冬は日本海でできた雲が次々に流れこんで断続的に雪や雨が降る、時雨が起こります。このため、金沢の降水量が1年で最も多いのは12月、2番目は1月です。平年値で比較すると、金沢の12月の降水量は東京の5倍以上。ちなみに、雪は雨量計で溶かして降水量として観測するので、降水量には雨だけでなく雪も含まれます。

雷が多い場所でもあります。年間の雷日数(雷を観測した日数)の平年値は、金沢が全国で最多の45.1日で、東京14.5日の約3倍です。太平洋側で雷が多いのは夏ですが、日本海側の金沢で雷が多いのは冬です。

 

加賀百万石の美意識は、「鉛瓦」の輝きにも表れる

加賀藩前田家というと、美意識が高い印象があります。「加賀百万石」は、加賀藩が100万石以上の大きな藩だったことから生まれた言葉です。江戸時代、前田家は徳川家に次ぐ財力を持っていて、その財を文化や工芸という文化政策に注ぎました。美意識と財力は、お城にも表れています。

金沢城の屋根は、夏でも「雪景色」。日差しで白く光り、まるで雪を被っているように見えるのです。

天気によって屋根の見え方が異なり、晴れの日は眩しい白色、くもりの日は優美な銀色、雨の日は鈍く光って重厚感があります。

屋根の独特の輝きの正体は、鉛です。木でできた屋根の上に厚さ約1.8ミリの鉛の板を張りつけています。鉛に少量の銅を混ぜることによって、強さや硬さを増し、酸で腐食しにくくしているそうです。

鉛瓦が使われた理由は諸説ありますが、一般的な土の瓦と比べて雪や寒さで割れるリスクが低く、耐久性があるので、多雨多雪地帯にある金沢城に向いていることが挙げられます。土の瓦で葺いた屋根より軽いため、雪が積もっても建物に負担がかかりすぎないことも利点です。

江戸時代からのこる石川門と三十間長屋、平成に復元された菱櫓(ひしやぐら)、五十間長屋、橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)、橋爪門、河北門(かほくもん)、令和に完成した鼠多門(ねずみたもん)と、どれも鉛瓦葺きですが、屋根の色が違います。

鉛の色ははじめは灰色、いわゆる鉛色ですが、雨や雪にさらされて、次第に白っぽく変化するからです。鉛瓦の屋根と白漆喰の壁は美しく調和していて、前田家の美意識を現代に伝えています。

 

海鼠壁は、美しいだけじゃない!「超できるやつ」


江戸時代築で現存する、三十間長屋。鉛瓦の屋根と、海鼠壁が立派

多くの建物の壁や、塀の下の方には、格子の模様が見られます。「海鼠壁(なまこかべ)」といって、壁に平らな瓦を並べて、瓦の継ぎ目に白漆喰を蒲鉾型に盛っています。単に見た目がおしゃれなだけではなく、耐久性を高めて雪や寒さから壁を守るための工夫です。さらには耐火性にも優れるので、木造建築の大敵である火にも強いです。

漆喰というと白色ですが、2020(令和2)年に復元された鼠多門には、珍しい黒漆喰の海鼠壁が見られます。

また、完成時の鼠多門の屋根は鼠色(灰色)でしたが、鉛瓦葺きなので時間が経つにつれて白っぽくなります。黒漆喰との調和と、その変化が楽しみです。

 

鉛瓦は江戸幕府へのパフォーマンス?

鉛瓦葺きのお城は少ないですが、かつては江戸城でも使われていました。江戸時代の古文書に、「鉛瓦を使用したのは名城の姿を壮美にするため」というようなことが書かれています。美意識が高い加賀藩前田家が鉛瓦を選んだのも、同じ理由かもしれません。

ただ、本当の理由は、江戸幕府に対するパフォーマンスだった可能性があります。

前田家は加賀百万石といわれるように力がある大名だったので、幕府から警戒されていました。そこで、お城の戦闘面ではなく美しさにお金を使う姿勢を見せて、「戦をするつもりはない」「幕府に背く気はない」とアピールしたのではないでしょうか?

特に鉛は鉄砲玉の材料なので、未使用の鉛を大量に所有していたら幕府に怪しまれます。それを避けるために瓦に使ってしまおうとしたのかもしれません。もし戦になったら、屋根から鉛板を剝がし、溶かして鉄砲玉を作ろうとしていたという説もあります。

前述したように、鉛瓦葺きの屋根が金沢の気候に合っているという理由も有力だと私は思います。色々な可能性に思いを馳せるのは、お城の楽しみ方のひとつです。

城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城
『城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城』(PHP研究所)

 

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